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怪人物、伊藤寿永光と許永中

 この一連の告発文は国会でも取り上げられることになった。

「怪文書紛いが国会で取り上げられたのは僕のだけだ」

 國重は時にこんな言葉を漏らしては笑っていた。

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 伊藤寿永光はバブル経済を代表する怪人物であったが、それ以上にその闇が深かったのは、伊藤に連なる人脈がより深い世界の住人たちだったからだ。さながら、バブル経済は地獄の釜の蓋が開いたかのように、魑魅魍魎が表舞台で跋扈する時代だった。

©文藝春秋

 伊藤寿永光の名前が知られるようになったきっかけは、雅叙園観光(東京、静岡でホテルを経営。1997年に倒産)の筆頭株主となったことからだった。1990年1月のことだ。

 雅叙園観光は関西で名を馳せた仕手筋、池田保次率いる「コスモポリタン」に乗っ取られていた。しかし、「コスモポリタン」は700億円もの手形を乱発、資金繰りに窮した同社は倒産。池田は新大阪駅で姿を目撃されたのを最後に失踪してしまう。

 伊藤は「コスモポリタン」に270億円もの資金を貸し付けていた。追い詰められていた伊藤は、雅叙園観光そのものを手に入れようとする。そこで登場するのが在日韓国人の許永中。当時は、実業家と称していたが、許は伊藤と並ぶ時代を代表する怪人物だった。「コスモポリタン」倒産後、雅叙園観光を取り仕切っていた許と伊藤は手を結び、雅叙園観光の乱発されていた手形の回収に走る。

伊藤に魅せられたイトマン社長、河村良彦

 伊藤と許とが急接近していたちょうどその頃、伊藤はイトマン社長、河村良彦を紹介される。2人を結びつけたのは、住友銀行栄町支店の支店長、大野斌代だった。

 自称“不動産のプロ”の伊藤は、すぐに河村を虜にする。人の弱み、人の欲望、虚栄心を瞬時に読み取るある種の“天才”を前に、河村は赤子も同然だった。ましてや、およそ1兆3000億円までに膨れ上がった不動産の投融資の処理が焦眉の急だった河村ならば、尚更だった。

 伊藤に魅せられた河村は、伊藤を副社長でイトマンに招こうとした。しかし、実績も経歴も定かでない人物の、いきなりの副社長就任にはさすがに住友銀行から待ったがかかる。両者の妥協の産物が、伊藤の不動産担当常務就任だった。こうしてイトマン、住友銀行は泥沼に引きずり込まれていく。

 しかし、それは表層的な結果の話であって、その本質はみずからの地位、名誉、権力にしがみついた磯田一郎の転落であり、河村良彦の転落であり、そして磯田らをそうした地位に祭り上げた住友銀行の体質だった。