もう一つの復活劇
これほどドラマチックな復活劇は過去に例を見ない。
1990年代、「ウインドウズ」でパソコンOS市場の9割を握り、その圧倒的な強さから「悪の帝国」とまで言われたマイクロソフトは、ITの主役がパソコンからスマートフォンに移ると、GAFAに主役の座を奪われた。
そのマイクロソフトを鮮やかに蘇らせたのがこの男、サティア・ナデラである。2014年2月、創業者のビル・ゲイツ、2代目スティーブ・バルマーに次いで3代目のCEOに就任した時点では、インターネットにもスマホにもうまく対応できないマイクロソフトの経営は「迷宮をさまよっている」と酷評され、「もはや終わった会社」とすら言われた。
しかしナデラがCEOに就任してから5年目の2018年11月、マイクロソフトの株式時価総額はアップルを抜き、アメリカで16年ぶりに首位に返り咲いた。2019年6月期の売上高は前年度に比べて14%増の1258億4300万ドル、純利益は約2.4倍の392億4000万ドルで、ともに過去最高だ。
「技術とマネージメントの両方がわかる稀有な存在」と評価され
インド中南部の街、ハイデラバードで生まれたナデラは、子供の頃からコンピューター・サイエンスに興味を持っていた。だが進学した地元のマンガロール大学には電子工学の学科がなく、電気工学を専攻した。しかし、コンピューターへの夢を諦めきれず、卒業後、一念発起して1988年に渡米。ウィスコンシン大学ミルウォーキー校で念願の情報科学の修士号を取得し、シリコンバレーの名門企業、サン・マイクロシステムズに入社した。
1992年になるとマイクロソフトに転職。入社直後から毎週末になると、本社があるシアトルからシカゴ大学に通学してMBAを取得した。金曜日の夜にシアトルで仕事を終えるとシカゴ行きの飛行機に飛び乗り、土曜日の授業に出席。日曜日にシアトルに戻って月曜日から仕事という生活を2年半続けた。
「いつも、読める以上の本を買ってしまう」という癖は、知識への飽くなき貪欲さを表している。常に知識を吸収して自分の価値を高め続ける姿勢は、インドや中国など新興国からアメリカに渡ったエンジニアや経営者に共通する傾向だが、ナデラの場合、その貪欲さと吸収力は群を抜いていた。
2008年、マイクロソフトのオンライン・サービス部門の上級副社長に就任し、2013年には同社のクラウドや企業向けシステムのエンジニアリング部門を担当した。情報科学の修士号とMBAを併せ持つナデラは、一騎当1000の人材が集まるマイクロソフトの中でも「技術とマネージメントの両方がわかる稀有な存在」と評価され、いつしかトップ候補に名前が挙がった。
バルマー時代の閉塞感を打ち破ることを期待していた投資家にとって、入社歴22年のベテラン・マネージャーの内部昇格は保守的に映り、CEO就任当時のナデラの評価は必ずしも高くなかった。