『日の名残り』で英国最高の文学賞・ブッカー賞を受賞したのが12年前。作家として初来日したイシグロさん。日本語は5歳レベルで止まっているが、「内なる日本」は成長しつづけた。彼の中に日本はどのように影を落とし、どのようにして世界的なベストセラー作家になったのか。
出典:週刊文春2001年11月8日号「阿川佐和子のこの人に会いたい」
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日本語は「スコシダケ」
阿川 イシグロさんは日本生まれで、イギリスでお育ちになって、英語で書かれた小説『日の名残り』で、イギリスの最高の文学賞であるブッカー賞を受賞された。それがもう12年前ですね。
イシグロ (英語で)そうですね。そのすぐ後、まだ『日の名残り』が日本語で出版される前に国際交流基金のご招待で来日しましたが、作家として来日するのは今回が初めてです。
阿川 日本にもイシグロさんのファンはいっぱいいるんですよ。『日の名残り』は小説としても、それからアンソニー・ホプキンスが主演した映画でも大ヒットしましたから。
イシグロ 私は日本ではそれほど知られてないと思っていたので驚きました。
阿川 日本語はどのくらいお分かりになるんですか。
イシグロ (すぐ日本語で)スコシダケ(笑)
阿川 なんだ、分かってらっしゃるじゃないですか(笑)
イシグロ 聞くのはけっこう分かるんですけど、話すほうは大変ですね。簡単な言葉でもパッと出てこないんです。
長崎の家では3階から階段を転げ落ちたことも
阿川 長崎に5歳まで暮らして、お父様の仕事の都合でイギリスへ?
イシグロ ええ。父は波の動きとかを研究する海洋学者なんですけれど、北海に関する研究が英国政府の関心を引いて、来てくれと言われたそうです。
阿川 5歳で向こうに行かれたんじゃ、英語にもすぐ馴染んだでしょうね。
イシグロ すごく簡単でした。学んだという感覚はないですね。
阿川 家のなかでは日本語で喋っていらしたんでしょう?
イシグロ 最初の頃はね。でも、日本語は5歳レベルで止まってしまいました。今でも両親とは私の拙い日本語で話しますけど、日本語の構造で、単語は英語になっちゃうんですよ。「ディナーはフィニッシュしましたか?」とか(笑)。
阿川 日本での幼少期のことは憶えてらっしゃいますか?
イシグロ ハッキリ憶えてます。
阿川 たとえば?
イシグロ 長崎の家はどんなつくりでどんな部屋だったか、全部再現できます。3階建てで、一番上は西洋式の部屋で、3階から階段を転げ落ちたことも憶えています。
阿川 1階まで!?
イシグロ しばしば(笑)。4歳か5歳のとき、映画を観に行ったことも憶えています。あまり有名じゃないんですけど、三船敏郎が須佐之男命(すさのおのみこと)役で(注・『日本誕生』)、8つの頭を持っている大蛇と戦うのを見て、自分で須佐之男命風のヘアスタイルを紙でつくって被って、なりきって遊んだとか。
阿川 大蛇の役は誰が?お姉さん?
イシグロ ハハハハハ、そうです。その映画が好きで、4、5回、観に連れて行ってもらったんですけど、毎回、大蛇が出て来ると怖くて観てられなかった(笑)。最後のほうで、やっと(両手で顔を覆って、指の間から覗くように)こうやって少しだけ観ました。
阿川 カワイー。