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腹からはみ出た腸を押しこみ反撃を続けた“ヤバい”ヤクザ 「いいゴロツキになって死んだ」壮絶な死に様とは

『ヤクザの死に様 伝説に残る43人』より #1

2021/04/12
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 河合徳三郎といえば、半博徒の談合屋として知られ、土建業をはじめ、のちに大都映画なども興し、興行界にも絶大な力をふるった大親分である。戦前から戦後にかけて「関根組にあらずんばヤクザにあらず」と謳われるほど強大な勢力を誇った関根組組長、関根賢の親分でもあった。戦後、関根組は解散し、松葉会として再建されるが、その家名と代紋は河合徳三郎の家紋に由来するものだった。

槍が引かれ、続いてドス、日本刀が…

 さて、“人斬り直”こと中村直彦が、人力車の中の一見に声をかけた。

「鼈甲屋さんでござんすね」

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 車夫があわてて轅をおろし、人力車から離れた。

「誰だ!?」

 と、一見も幌から出ようとした。その足が地面につくかつかぬかのうちに、一見は突きだされた槍をまともに腹に受けた。

「うっ」とうめいたが、切っ先がその脾腹(ひばら)を抉っていた。

写真はイメージです ©iStock.com

 槍が引かれ、続いてドスや日本刀を持った男たちが一見に躍りかかってきた。身に寸鉄も帯びていない一見は、それでも一人に組みついてやろうと飛びかかったが、刺客たちの動きはすばやかった。

 腹から腸が飛び出るほどの傷であった。気丈な一見はそれを中へ押しこみながら、奮戦したのだが、ついに力つきて倒れてしまった。

医者への「どうも御苦労さんでした……」が最期の言葉

 刺客たちはすばやく姿を消し、一見が大学病院に運ばれたときには、手のほどこしようがなかった。何人かの医者がかわるがわる傷を調べても、もはやなすすべもなかった。

「どうも御苦労さんでした……」

 医者たちに向けられた一見の最期の言葉だった。そのまま眠るように息をひきとったのである。

 後日、その話を聞いた斉藤一家五代目の山田政雄は、

「あいつもいいゴロツキになって死んだよなあ」

 と漏らしたという。性根のすわったヤクザらしいヤクザ──と一見直吉を評価したわけである。

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