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カズオ・イシグロが語った“僕のセールスプロモーション”

阿川佐和子がカズオ・イシグロに聞いた芸術論、オバQのこと

source : 週刊文春 2001年11月8日号

genre : エンタメ, 読書, 映画

note

私がソング・ライティングで得たこと

阿川 それが28歳のときに書かれた、処女作の『遠い山なみの光』(『女たちの遠い夏』を改題)ですね。

イシグロ はい。大学の修士課程のクリエイティブ・ライティング・コース(創作科)で1年間、勉強して、最初の小説を書き始めたんですが、それと長編第二作目の『浮世の画家』が、私の記憶と想像の中の日本を描いたものです。

阿川 “特別な日本”を音楽という形で残そうとは思わなかったんですか。

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イシグロ 私がやっていたのはロックンロールだから、私の大切な日本を表す手段としてはとても最適だとは思えなかった(笑)。

阿川 (ギターを弾く真似をして)♪ニッポン、ジャジャジャ~ン、遠い山なみィ~って、歌つくってみるとか(笑)。

イシグロ アハハハハ。でも、歌詞を書いていたことは、小説家としていい素地になりましたよ。小説を書き始めた人はいろんな段階を経ていくんですけれど、それは私が歌をつくっていくときに経てきた段階と似てるんですよ。

阿川 どういうところがですか。

イシグロ 多くの小説家は、最初に若者がキャリアに挫折したり、悩んだりする葛藤を自伝として書くことから始めようとするんですけど、私は「あ、それ、ソング・ライターのときやったな」と思いました、それから、自分で獲得した技法を全部、これみよがしに作品に入れて見せる人もいるでしょう。もうミエミエなんだけど。それも、僕はソング・ライターの頃やりました(笑)。

阿川 ハハハハ。

イシグロ 私はソング・ライティングを通して、小説家と同じ家庭を経て、やっぱり純粋なアーティスティックな表現はテクニックを誇示することじゃないんだと学んできていたんです。

純粋なアーティスティックな表現って何?

阿川佐和子 ©文藝春秋

阿川 じゃあ、純粋なアーティスティックな表現って何なんでしょう。

イシグロ 遠大な質問で答えるのが大変なんですけれども、私は自分の世界観や感動を純粋に伝えることだと思います。それを読者に感じ取ってほしいし、同じ世界観や感動を共有してほしい。

阿川 なるほど。

イシグロ 私が本を読んだり、映画を観たりするのも感動したいから。作家や監督が今までとちょっと違う見方、世界観を見せてくれて、それを私が感じ取ることができたらすごく感動しますから、私も同じことをやりたいんですね。そういう芸術的な表現ができるようになるまでには、少し時間がかかりますけど。

阿川 でも、イシグロさんは、デビュー作の『遠い山なみの光』で王立文学協会賞、長編二作目の『浮世の画家』でウィットブレッド賞、長編三作目の『日の名残り』でブッカー賞を受賞なさった上に、95年にはOBE(大英帝国四等勲位)、98年にはフランスの芸術文芸勲章三等を授かっていらっしゃる。めちゃくちゃトントン拍子ですよねえ。

イシグロ 私は時期的にも恵まれていたんだと思います。イギリスは80年代になるまで大英帝国として栄えていたプライドで生きていて、他国の文化にはまったく関心がなくて、他の国が我々のことを学べばいいんだという文化的な観点で世界を観ていたわけです。

阿川 そうなんですか。

イシグロ それが80年代の初めに、突然、我々はヨーロッパの端っこにちょこんと位置してる小さな島国ではないか、世界の中心なんてとんでもないということに気づいて、他の文化をもっと学ばねばと、すごい転換をした。もう不公平とも言われるぐらい、英国のことのみに着眼点を置いた作家はないがしろにされるという、極端に走ったんですね。私はちょうどそのときにデビューしたから、ラッキーだった。もし10年前にデビューしてたら、同じものを書いてても評価されるのに10年かかったと思います。

1年がかりで書いた100ページ以上を捨てた

阿川 今年の3月に出された『わたしたちが孤児だったころ』(早川書房)の舞台は、日本とイギリスに加えて、お祖父様やお父様が暮らしていた上海が絡んできて、かなりインターナショナルなお話ですね。

イシグロ 主人公はイギリス人の男性で、1900年代初めに上海の租界で暮らしていたとき、両親が相次いで失踪して孤児になってしまうんです。どうも両親はアヘン貿易絡みの事件に巻き込まれたらしいと知った彼は、いつか事件を解明して両親を探し出したいと、イギリスに戻って名門大学を出た後、探偵になって、日中戦争が勃発して混迷をきわめる上海に戻ってという話ですから。

阿川 しかも、イシグロさんにしては珍しくミステリー・タッチで。

イシグロ ええ。私は今までの小説は最初に全部計画してその通りに進めていったんですが、今回は最初はアガサ・クリスティ的な英国の典型的な探偵物を書こうと目論んでいたのが、なかなかその通りにいかなくて。結局、1年がかりで書いた100ページ以上を捨てて、探偵物にこだわるのはやめたんです。こんなことは初めてです。

阿川 100ページ以上捨てた!? 聞くだけで胸が痛い(笑)。なぜ探偵物にするのをやめたんですか。

イシグロ 探偵物にしないほうが、自分の書きたいことを表現できると思ったんですね。

阿川 イシグロさんの作品には、家族にも言えない秘密、陰の部分を持っていて葛藤している男の人が出てきますね。