誰しも、日常生活で使うことばに興味や悩みを抱くことは多いはず。でも、その興味を満たし、悩みを解決するために、言語学の知識がほしい、という人は多くないかもしれません。
ことばのことで困ったら、周囲の人に相談するか、ネットでマナー講師やブロガーの意見を読むか、大体そんなことで解決する(ような気分になる)。ことさら言語学的に考えようという人は珍しい。
研究者の側も、必ずしも日常生活に役立てることを目的に研究しているわけではなさそう。「ことばの美しい原理を発見したい」というのが、多くの人の研究動機だろうと思います。でも、一般の生活にリンクしていない研究は、やっぱり寂しい気がします。
言語学や情報科学を専攻する著者の川添愛さんも、日常生活と学問との距離に悩んだ経験があるのでしょう。「言語学は何の役に立つのか?」。そんな問いかけに対する答えとなるのが本書です。すなわち、言語学というのは「ふだん使い」ができる。
私たちが日々ことばで苦労する主な理由は、ことばが実に頼りない道具で、無数の誤解を生むからです。そして、その誤解を解いたり、あらかじめ避けたりするための知識を、言語学は提供できるのです。
本書から例を出すと、たとえば、「バリ島に着いたら、良い宿がいっぱいで困った」。友人との会話でこう言うと、誤解を招くおそれがあります。そう、「良い宿がたくさんあって迷った」のか、「良い宿が満室で困った」のか、「いっぱい」の意味が複数あって決まらないんですね。
どんな語句も、大なり小なり多義性があります。明白にひとつの意味しかなさそうな語句が、ある場合には別の意味で使われることもあります。そうした知見は、言語学の研究によってもたらされます。
もうひとつ例を出すと、「太郎くんは、事業に失敗し、死ぬことすら考えていた僕に手をさしのべてくれた」。途中まで聞いた人は、太郎くんが死ぬことを考えたのかと受け取りかねない。最後まで聞けば、そう考えていたのは「僕」だと分かるのですが。
こういう混雑した文を整理して説明するのは、文法論の得意分野です。先の文では、「事業に失敗し~考えていた」の部分が、前の部分の述語になるか、後ろの部分の修飾語になるかがあいまいだったのです。
読み書きの経験を積めば、誤解を避ける技術は、ある程度身につきます。それでも、経験に基づくだけでは客観的な説明が難しいこともあります。
たとえば、「雨が降るだろう」と「雨が降るかもしれない」は、確信の度合いがどのくらい違うのか。これを説明するには、言語学者がよく使う「置き換え」という方法が有効です。一体どんな方法か、ぜひ本書でご覧ください。
かわぞえあい/1973年、長崎県生まれ。九州大学、同大学院他で言語学を専攻し博士号を取得。言語学や情報科学をテーマに著作活動を行う。近著に『聖者のかけら』などがある。
いいまひろあき/1967年、香川県生まれ。国語辞典編纂者。近著に『知っておくと役立つ 街の変な日本語』(朝日新書)など。