1ページ目から読む
2/4ページ目

「完璧に盗み撮りですよね(笑)」

――かつてはインディーズと呼ばれる自主映画にも出演されていましたよね。なかでも塚本晋也監督の『鉄男II BODY HAMMER』(1992年)では、実際に営業中の店舗内でゲリラ撮影もされたと聞きます。

田口 そうです。完璧に盗み撮りですよね(笑)。別の場所で実際の店舗内のレイアウトを想定して、「ここに棚があるから、ここを通過して…」みたいに動線を全部計算しながらリハーサルをしたんです。それで、本番は現場で一発撮りっていう形。非常にスリリングで、楽しかったですね。いまなら怒られちゃうだろうけど。

 

――そういう時代背景ですね(笑)。撮影は上手くいったんですか?

ADVERTISEMENT

田口 いや、結局、助監督が何人か捕まって通報されたという(笑)。3キャメか、4キャメで撮っていたのかな。1キャメ取り上げられて、そのフィルムは没収されたという残念なオチが付くんですけど。

大島渚監督の現場で北野武から掛けられた言葉

――一方で、インディーズとは正反対の「日本映画の巨匠」と呼ばれる方々とも仕事をされていますよね。名監督との撮影現場はどうでしたか?

田口 一言で言えば、夢のようでしたね。自分が学生時代に観て影響を受けていた今村昌平監督、大島渚監督、新藤兼人監督…。彼らの映画に出ていた俳優さんたちに凄く憧れたり、惹かれていたので、その監督の作品に出られるっていうのは、ただただ、夢のようだと思いました。自分にとっても忘れられない財産になりました。

――大島渚監督の現場は、結構ピリピリしていたと聞きます。

田口 そうなんです。僕は何をやっても、怒られて。初日から「えっ、えっ、なんで?! 」っていうことの繰り返しで…。ある時なんか、助監督さんに「この方向に向いて立っていてください」って言われてそこに立っていたら、大島監督が入ってこられて。来るなり僕の位置を見て「ちがーう! そこじゃなーい‼」って怒鳴られて。「僕、助監督に言われて立っているだけだったのに」って思ったんだけど(笑)。

 

――いきなりの洗礼ですよね。

田口 もう、途方に暮れました。そうしたら(北野)武さんが、「兄ちゃんくらいの人がね、一番怒られるんだよ。大島組は」って、声をかけてくれたんです。

「若手を怒ったらビビってしまうし、年配の人を怒ると面倒くさいんで、ちょうど兄ちゃんくらいの年代の人がね、怒られるんだよ」って励ましていただいて。それで「あぁなるほどな、この集団の中での自分の役割分担は怒られ役なんだ」と知ることができた。不思議なもので、そういう必要な役割に抜擢されたんだなって思うと、逆に光栄だなと感じましたね。

――“脇役”には画面に映っていない部分の役割もあるのですね。

田口 その時は非常に悩んだし、苦しかったんですけど、今思うと良い経験をさせてもらったと思います。