『激震』(西村健 著)講談社

 一九九五年一月十七日早朝、兵庫県三田(さんだ)市の当時の自宅で、両親や妹と共に寝ていたところを突如大きな揺れに叩き起こされた。両親が横で叫ぶ中、目をつぶってくまの人形をぎゅっと抱きしめた覚えがある。

 幸い私の家族に被害はなかったが、阪神淡路大震災は、私の最も古い記憶のひとつだ。それ以前の赤ん坊のような時代と、あの揺れが明らかに一線を画した。街中で地下道入口を見かけて「サリンだ」と指差したことや、オリックスのリーグ優勝に神戸南京町が沸きたったことは、今も覚えているし、その自分と今は確かに地続きだと感じる。

 一九九五年は、自分史的要素以上に時代の画期だと確信している。なんなら九五年以前を「歴史」と呼んでよいと思っている。いい加減昭和を歴史に押し込めなければ、昭和世代がずっと世のヘゲモニーを握り続け、我々平成世代の時代が来ないからだ。昭和は早く退場願いたいのだ。

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 現状、支持を得づらい主張だが、今回西村健『激震』を読んで、もしかすると九五年画期説が受け入れられる素地ができたのかも知れないと思う。

 震災に蹂躙された神戸の街で、被災地取材に入った月刊誌記者が邂逅したある女性。その父が不審な死を遂げていたことから、記者による追跡劇が始まる。

 舞台はあの年のもうひとつの巨大な災厄・オウム真理教事件にも移る。雑誌記者として立ち会う主人公の前で、この国が戦後五十年築き上げた「神話」がいくつも崩れ落ちる。災害やテロという脅威だけではなく、社会や家族の営み自体がもはや今までの常識では制御しきれなくなったのだ。

 著者自身の経験したであろうリアルがちりばめられた生々しい現場に時折、女の蠱惑的な残り香が漂う。果たしてこの女は何者なのか、主人公の目線で追いかけるが、一向に真相に近づかない。もうページ数も少なくなってきた、と焦れたところで、事態は急展開を見せて、視野は急速に現代に戻る。

 本作であっという間に駆け抜けた九五年は、現代の我々が依って立つ不安定な世相の最初の一ページだ。男女の追跡劇の皮を被りながら、本作は戦後日本の「神話」の崩壊に立ち会った者の記録でもある。あの時大人だった昭和世代の抱いた、ぼんやりとした不安を主人公も抱き、そしてその間隙を縫うように女は逃げ、生きた。

 平成一桁世代の私にとって、主人公の戸惑いは残念ながらピンとこない。なぜならそれが当たり前だからだ。私より下の世代だと猶更(なおさら)だろう。本作は「時代小説」の素質を期せずして(あるいは期してか)持ち合わせた。

 もしこのことに、我々以下のみならず上の世代が気づけば、遠からずあの年は歴史と化すだろう。本作にはその力があると信じている。

にしむらけん/1965年福岡県生まれ。東京大学工学部卒業。1996年『ビンゴ』で作家デビュー。2011年『地の底のヤマ』で日本冒険小説協会大賞、翌年、同作で吉川英治文学新人賞を受賞。14年『ヤマの疾風』で大藪春彦賞を受賞。
 

さかがみいずみ/1990年、兵庫県生まれ。2019年『へぼ侍』で松本清張賞、21年『インビジブル』で大藪春彦賞を受賞。

激震

西村 健

講談社

2021年3月1日 発売