『クララとお日さま』(カズオ・イシグロ 著/土屋政雄 訳)早川書房

 ショートカットで浅黒い肌のフランス人少女のような姿をしたクララは、子どもの親友となるべく開発された人型ロボットだ。とりわけ観察眼と学習能力にすぐれた個体であるクララが率直に思慮深く語るこの物語は、童話のようなやさしさをたたえながらも、この世界のおそろしさを取りこぼさずに拾い上げていく。人型ロボット内でのバージョンのちがいによる格差に呼応するように、人間の子どもたちの間にも人為的なバージョンのちがいによる格差が存在すること。クララを買ってくれた14歳の少女ジョジーが病弱であることとその理由。ジョジーの母親がクララを買った本当の目的。家庭における「父親」の不在と、それでもなお母親に対して抑圧的な権力を持つ「父親」たち。

 なかでも私にとって本当におそろしかったのは、クララのジョジーへの献身だ。どれほどの信頼を勝ち得ようとも最後には結局はモノとしてしか扱われることがないにもかかわらず、人間の役に立つためだけにつくられたクララにはそれ以外のことをするなど考えも及ばない。これほどの忠誠に値する人間はおそらく誰一人いないだろう。クララが人間に注ぐ愛情と同じだけの愛情をクララに注げないのなら、きっと人間はクララのような存在をつくり出してはいけなかったのだ。

 同時に私は、このようにクララの生を否定する自分自身を傲慢であるとも感じる。なぜならクララはこの物語のなかにたしかに生きており、その生はあまりにもまぶしく美しいからだ。さらに言えば、クララの心の美しさを理由にクララの生を肯定することにも、うしろめたさを感じずにはいられない。美しいと感じようが醜いと感じようが、ある命が存在してよいか否かを裁定する権利など誰にもないからだ。

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 また、クララは太陽光を動力源とすることから、太陽に絶大な信頼を寄せているが、そのほとんど信仰といってもいいほどの信頼も、私の不安をかき立てる。クララの知性を鑑みるとあまりにもアンバランスで幼稚なのだ。

 クララの視界は情報の整理と分析のためにしばしばボックスで分割され、ときにはなかなか統合に至らず混乱を来す。それでも、盲信する太陽光の光量や色や角度に留意しながらクララが描写してみせる世界はむしょうに美しく、それすらなんだか不安だ。クララを通さない世界は、これほどまでには美しくはないのではないだろうか。

 描かれた世界を、それぞれに最善を尽くそうとする人間たちを、そしてなによりもクララの行動をこのように一瞬ごとにジャッジしながら読み進む私こそが、その一瞬ごとにこの本にジャッジされているのかもしれない。物語の最後まで、クララはお日さまを浴びながら人間をじっと見ている。その視線は、本を閉じた今も、私に直接向けられているような気がする。

Kazuo Ishiguro/1954年、長崎県生まれ。5歳の時、父親の仕事の関係でイギリスに渡る。その後英国籍を取得。89年発表の『日の名残り』でブッカー賞受賞。2017年、ノーベル文学賞受賞。主な著書に『遠い山なみの光』『わたしを離さないで』など。
 

ふじのかおり/1980年、京都府生まれ。作家。2013年「爪と目」で芥川賞受賞。著書に『ピエタとトランジ〈完全版〉』など。

クララとお日さま

カズオ・イシグロ ,土屋 政雄

早川書房

2021年3月2日 発売