1ページ目から読む
2/4ページ目

プロの写真家が、西村カメラを支持するワケ

 西村の仕事ぶりが支持を受けた理由の1つには、プロラボにはなかなかできないきめ細かさがある。

「プロラボさんだと受付から仕上がりまでに複数人が介在すると思うのですが、うちの場合、作業する人が写真家さんから直接オーダーを受けるので、細かい要望に対応しやすいんです。コミュニケーションを取りながら作業にあたる分、仕上がりにも納得していただけているのかもしれません」

 さらに、出版社等への納品の代行を行ったり、写真展用のフレームを発注したりと業務内容の幅は広かった。「こんな写真が撮りたい」と相談を受ければ、機材の提案をするし、時には自らが機材を探し回ることだってあった。かつて、昔ながらの町の写真屋というと、その町に住む人々にとって、写真に関してであれば何でも相談できる存在だったはずだ。プロの写真家が相手だろうと“町の写真屋”ならではの姿勢を崩さなかった。

ADVERTISEMENT

 

こんなタイミングだからこそ「自分がやれることを」

 しかし、冒頭に書いたように、写真業界の苦境は西村にとっても身に迫るものだった。

「仲の良い同業の方に聞いてみても、売り上げの4~5割減は当たり前です。うちは家族経営の店で、兄夫婦も西村カメラで働いているのですが、両親が80歳超えても頑張ってくれていたので、なんとか立ち行くことができていました。

 ただ、売り上げが大幅に落ち込んでいる事実は変わりません。実際には両親がありとあらゆるものを削り出していたんです。自分なりに努力をしてきたつもりでしたが、とても強い焦りを感じました。今この状況の中で、できる事はなにか。結論としては自分が培ってきた分野を積極的にアピールする事しかできないと思いました。そしてこのタイミングだからこそ、それを必要とされる方に届くのではないか、仮に失敗しても後悔しないんじゃないか。写真業界が萎んでいく中で、僕たちが新しいことを始めることが業界のカンフル剤になればと。大袈裟かもしれませんがそう思っています。

 東伏見では現存の西村カメラは続きますが、僕たちが吉祥寺という場所でより専門性を追求するお店を構えることで、お客様にも選択肢が増えるというメリットがあるのではないかと考えました」

 

 家業とはいえ、一従業員に過ぎない西村には制約があったのも事実。決して勝算があったわけではないが、慣れ親しんだ土地を離れて、2人の従業員とともにPrism Lab.KICHIJOJIを立ち上げることを決めた。

「ただ、新店舗の準備を始めてから思うのは、本当にこれまで両親にお世話になりっぱなしだったっていうことですね…。両親には感謝しかありません」

 厳しい船出になるのは覚悟の上。このようなご時世だからこそ、家業に関わるという甘えを捨て、50歳を前に厳しい道を選んだ。