(エ)食事を取る場所
被告人両名は、テーブルで食事をしていた。これに対し、由紀夫と甲女は、「片野マンション」で生活を始めた平成7年(1995年)2月ころは、同様にテーブルで食事を取っていたが、その後、松永は、由紀夫と甲女に対して、台所や浴室の床の上に広告紙や引出しを敷いて食器を置いて食べろと指示した。さらに、由紀夫が死ぬ間際ころには、由紀夫と甲女は、浴室の洗い場で食事を取るようになっていた〉
時間内に食べ終えないと通電、嘔吐したものを再び食べさせた
これらの食事の時間制限や食事を取る場所についても、判決文ではより詳細に触れられている。事前に説明しておくと、松永は由紀夫さんに対し、ベニヤ板で区切った「領土」と名付けた範囲を決めて、台所での居場所をその「領土」上に制限していた。判決文には次のようにある。
〈松永は、「片野マンション」の台所で、由紀夫を「領土」に座らせるか、あるいはそんきょの姿勢をとらせ、新聞紙や広告紙を敷いた床の上に食器を置いて食事をさせた(浴室で食事させることもあった)。松永は、由紀夫の食事時間を10分から15分くらいに制限し、緒方や甲女にキッチンタイマーで時間を計らせて大急ぎで食事をさせた。食事時間の制限は甲女にもあった。由紀夫が制限時間内に食事を食べきれないと、制裁として通電した。
松永は、由紀夫が制限時間内に食事を食べきれなかった際、丼に残ったご飯の上に山盛りの塩をかけ、由紀夫に対し、これを急いで食べるよう強要し、由紀夫がこれを食べたところ、口の端からよだれを垂らし気を失ったことがあった〉
制限時間内に食事ができなかった由紀夫さんへの松永による制裁について、公判のなかでも緒方と清美さんがそれぞれ供述していることを判決文は指摘。そこで挙げられた両者の供述内容は以下の通りだ。
〈「由紀夫は食事の制限時間を経過した時点で両顎に通電を受け、口に含んでいた食べ物を吐き出した。被告人両名は吐き出したご飯粒等を由紀夫に食べさせた」(緒方の供述)
「由紀夫は、制限時間内に食事を全部食べ終えないときは通電された。その際、由紀夫は、口に含んでいた食べ物を吹き出したことがあり、松永は、緒方と甲女に対し、『床に落ちた物もちゃんと食べさせろ。』と指示し、由紀夫に吹き出した物を食べさせた」(甲女=清美さんの供述)〉
一方で、松永は自身が課したとされる由紀夫さんへの食事制限について、公判のなかで否認していた。その内容を判決文はこのように明かす。