起訴された案件だけで7人が死亡している「北九州監禁連続殺人事件」。
もっとも凶悪な事件はなぜ起きたのか。新証言、新資料も含めて、発生当時から取材してきたノンフィクションライターが大きな“謎”を描く(連載第53回)。
食事は1日1回、白米にラードをかけたものを深夜1時に
1995年2月から松永太と緒方純子らが暮らす、福岡県北九州市小倉北区の「片野マンション」(仮名)30×号室で同居させられた、同市の不動産会社員・広田由紀夫さん(仮名)と、父親に先駆けてその前年10月から同居していた娘の清美さん(仮名)。彼ら親子に対する松永による虐待は、殴打や通電による暴力にとどまらなかった。
その一つが食事についての厳しい制限だ。成長期である清美さんが受けた影響について、福岡地裁小倉支部で開かれた公判での検察側の論告書(以下、論告書)には、以下のような説明がなされている。
〈「片野マンション」での同居を開始した後、由紀夫と甲女(清美さん、以下同)は、食事の回数や量などについても制限を受けた。そのため、甲女は、「片野マンション」で生活を始める前である小学校1年生から4年生の10月までの間は、クラスの女子約21人中、後ろから2番目から6番目ぐらいの身長だったものが、「片野マンション」で生活を始めた後である小学校4年生の10月以降は、身長は前から2番目から4番目くらいになり、生理が2~3か月遅れることもあり、学校等でもしばしば貧血を起こしていた〉
親子への食事制限の詳細についても論告書は触れている。少々長いが悪辣な犯行内容を詳らかにするため、途中で補足説明を入れながら全文を掲載する。
〈(ア)食事を取る回数、時刻
食事は1日1回と決まっていたが、罰として食事が全く与えられない日もあり、3日間絶食させられたこともあった。また、食事の時刻は、松永の気分次第で、一定していなかった。
(イ)食事の内容
食事の内容も、すべて松永が決めていた。被告人両名(松永と緒方)は、麻婆豆腐や刺身や焼き魚や煮魚などを自由に食べており、松永は、由紀夫には、物と引き換えでなければ食事をやらないと言っていた。甲女は、自分がひもじい思いをするのは、由紀夫にお金がないからなのだと思っていた。