起訴された案件だけで7人が死亡している「北九州監禁連続殺人事件」。
もっとも凶悪な事件はなぜ起きたのか。新証言、新資料も含めて、発生当時から取材してきたノンフィクションライターが大きな“謎”を描く(連載第54回)。
布団で寝させてもらえず、浴室の洗い場にふたり下着で
松永太と緒方純子による福岡県北九州市の不動産会社員・広田由紀夫さん(仮名)と、娘の清美さん(仮名)親子に対する虐待は、通電などの暴力や前回(第53回)に記した食事制限のほかにも、生活全般に及んでいた。
たとえば就寝についての制限について、福岡地裁小倉支部で開かれた公判での検察側の論告書(以下、論告書)では、以下の説明がされている。
〈(ア)眠る場所及び寝具
被告人両名(松永と緒方)は、「片野マンション」(仮名)の和室に布団を敷いて寝ていた。これに対し、由紀夫と甲女(清美さん、以下同)は、由紀夫が「片野マンション」で同居するようになった初日だけ「片野マンション」の和室に布団を敷いて寝ることが許され、以後は、「片野マンション」の玄関の土間にすのこを敷き、その上に一組の布団を敷いて寝させられた。それが、平成7年(1995年)2月ころ以降、同年夏ころまで続いた。
平成7年夏ころになると、松永は、由紀夫と甲女に対し、「二段ベッド」と呼ばれる木製の箱で寝るように命じた。これ以降、松永は、由紀夫と甲女には、布団で寝ることも許さなかった。この箱には蓋が付けられており、寝るときは外から鍵が掛けられた。また、松永は、由紀夫と甲女に対し、箱の中で寝返りを打つことさえ禁じた。のみならず、松永は、いびきがうるさいなどと言って、眠っている由紀夫の足に通電したこともあった。
更にその後、松永は、由紀夫と甲女に対し、「片野マンション」の浴室の洗い場で、下着姿で眠るよう命じた。この指示は、由紀夫が死亡するまでずっと続いた。松永は、敷布団は与えず、洗い場に置かれたすのこや雑誌の上で寝ることを強いた。掛け布団もごくまれに毛布などを貸し与えただけで、大体は5枚ほどの新聞紙を掛けて寝るよう強いていた。真冬でもこの状態が維持され、数日間、しかも一晩に数時間程度だけ布団乾燥機を使わせた以外には暖房器具もなく、寒さのあまり、眠れないこともしばしばあった〉
一方で、松永は当初から由紀夫さんと清美さんへの就寝制限について、“独自”の主張を展開していた。前記公判における松永弁護団による冒頭陳述では、次のような説明がされている。なお、これらはあくまで松永の主張に基づいたものであることをお断りしておく。