そうした着衣で厳冬期を過ごしていたことに触れ、松永が公判において「由紀夫と甲女が起居する『片野マンション』の浴室の暖房のために布団乾燥機を同所に設置した」と供述していることに対して、判決文は彼らの逮捕後である平成15年(2003年)に、犯行現場で実施した実況見分の結果を持ち出して、以下の結論を下していた。
〈そもそも布団乾燥機を暖房目的に使用するということ自体がお座なりなものである上、平成15年1月14日から同年2月25日までの「片野マンション」の浴室内の気温は、6度ないし12度であり、同年1月28日、浴室内に布団乾燥機を設置し作動させて気温の変化を計測したところ、2時間くらい経過しても浴室内の気温は10度から13度になった程度に過ぎなかったという実況見分の結果や、甲女も、公判廷で、「浴室内で布団乾燥機を作動させてもほとんど暖まらず、寒くて寝られないこともあった。」旨供述していることに照らすと、布団乾燥機を「片野マンション」の浴室内で作動させても、暖房としての効果は殆どなかったことが認められる〉
浴室で1日中立たされ、排泄まで制限された
論告書は、就寝制限が課された時期の由紀夫さんと清美さんの睡眠時間についても触れている。
〈(イ)睡眠時間
「片野マンション」では、由紀夫と甲女が何時に寝て何時に起きるかすらも、松永の気分次第で左右されていた。
松永は、由紀夫と甲女に対し、午前3時か4時ころまで眠ることを許さず、午前7時には2人を起こし、甲女には学校に行かせていた。そのため、それ以前は8時間程度であった甲女の睡眠時間は、長くても4時間程度になってしまった。しかし、それさえも松永の気分次第であって、一睡もできないまま学校に行かされることもあった。学校が休みの日も、同じ程度の睡眠しかとらせてもらえなかった。
松永は、甲女が登校の支度をしている間から、由紀夫を浴室で立たせており、甲女が学校から帰宅してきたときも、由紀夫は登校時と同じ場所に立たされていた。だから、由紀夫は、一日中立たされていたと思う〉
ここにもあるように、由紀夫さんは制限を受ける睡眠時以外には、常に長時間の起立を強制されていた。論告書は明かす。