100年以上の歴史に幕
「ここが始まった時から、何代もずっと商売させてもらった。今はスーパーに行けば何でも買える。これも時代の流れやね」
お店の方も、お客さんも、私も、仕方がないということは分かっている。時代の流れと言われればその通りだが、魚市場に限らず、これまで便利さや安さと引き換えに、多くのものが失われてきた。非効率で合理性に欠けるシステムが淘汰されるのは自然な流れだが、そこでしか得られない会話や情報、昂揚感もある。また、楽しかったり、寂しくなったりという感覚を経験できるのも、重要なことだと思う。買い物に求められるのは、決して安さや便利さだけではないはずだ。
後片付けが続く魚市場に、多数の作業員が入ってきた。解体に向けた準備のため、冷蔵庫や照明などの機材を運び出すのだという。余韻に浸る暇もなく、次々と魚市場の痕跡が運び出されてゆき、下之一色魚市場は100年を越える歴史に幕を下ろした。
これほど急ピッチに工事が進められるのには、訳があった。南海トラフなどの大地震に伴う巨大津波に備え、庄内川の護岸工事を行うためだ。水害対策によってはじまった下之一色の漁業の歴史は、水害対策によって衰退し、水害対策によって終わりを迎えた。
「また漁ができる日が来るかもしれない」
最後に、忘れそうになっていた廃墟のことを、魚市場の理事長に聞いてみた。昔は多くの冷蔵倉庫があって賑わっていたが、数十年前には使われなくなった。所有者を知る人はもうおらず、現在の状況は分からないという。
後日、それを友人に報告した。そして、なぜ廃墟を見てきてほしいと私に依頼してきたのか、ずっと抱えていた疑問をぶつけてみた。
「廃墟のことを教えたら、君のことだから魚市場にも興味を持つだろうと思ったんだ。多くの人が関心を持ち、庄内川の水が綺麗になったら、また漁ができる日が来るかもしれない。地元で獲れた美味しい魚を食べたいじゃないか」
時代は移ろい、そして時代は巡る。数十年後、数百年後には、もしかすると下之一色は再び漁師町になっているかもしれない。下之一色で獲れた魚が再び市場に並ぶ日が来ることを、どこまでも魚が好きな友人とともに夢みている。
撮影=鹿取茂雄