益子 でも、不安な気持ちがあるっていうのを聞いただけで、安心しましたね。福田はこう見えて頭がいいんですよ。マニアックな戦国武将の名前とかよく覚えていて。歴史関係のロケのときとかは、俺はもうちんぷんかんぷんなんで。福田の背中グイっておして、前に立ってもらったり。
でも、すぐ人との間に壁作るんですよね…。例えば福田が聞いたこともないような武将のエピソードとかスタッフさんにしていると、「詳しいですね!」って言ってもらえるのに、「いや、多少知っているだけですから」って、すぐシャッターをおろしちゃう。「うまくしゃべればいいのにな」って思いますよ。
コンビ解散は…「考えたことない!」
――お互い自分にない部分を認め合えるのは、とてもいい関係性ですね。今後も死ぬまでコンビ解散はなさそうですね。
福田 死ぬまでかはわかんないですけど、コンビ解散は考えたことないですね。1人じゃなんもできないですから。いまは、お客さんが笑っている姿見るのが嬉しいんですよね。地方の公民館とかに呼んでもらって、おばちゃんとかが「死ぬんじゃないか」ってくらい笑ってくれたりするんですよ。
益子 年に数回ある、俺らの無双状態ですね。その時は何言っても笑ってくれますから。
福田 お客さんも喜んでくれて、俺らもすんげぇうれしい。そういうときがあるから、まだまだがんばらなきゃなって思います。
――今後、活動の拠点を栃木に移すとかは考えたりはされないんですか?
益子 いやー、栃木の人は東京のテレビに出てるっていうことに喜んでくれてるんで。栃木くらいなら日帰りで行けちゃいますからね。日帰りで栃木行くっていうと、東京の人は「日帰りなの?」って青森行くぐらいの雰囲気で言ってきますけど、新幹線で1時間もあれば着いちゃいますからね。
――確かに、栃木は勝手に遠いイメージを持っていました(笑)。では、最後に今後の目標を教えてください。
福田 今年は単独ライブも予定しているんですが、俺らはやっぱり排気量が小さいんでね。できることは限られているんで、お客さんに求めてもらえるうちは舞台やテレビに出続けられたらなって思います。
――益子さんは今後の目標はありますか?
益子 いまは第7世代の芸人ともからめる機会をもらっているので、若い人にも顔を覚えてもらえるチャンスなんですよ。ここでもがいておけば、またしばらくは平日の昼間っから甲子園見ながらコーヒー飲めるなって。
福田 おめぇさっきから楽することばっかり考えてんじゃねぇか!
益子 ごめんね、ごめんね~!
写真撮影=文藝春秋/深野未季
U字工事/益子卓郎(ボケ担当)と福田薫(ツッコミ担当)のコンビ。益子は1978年6月16日栃木県出身。福田は1978年5月12日栃木県出身。栃木県立大田原高等学校の同級生だった2人によるコンビで、主に栃木弁による漫才を行う。
『M-1グランプリ』では、2003年から2007年にかけて5年連続準決勝進出。2008年には初の決勝進出を果たし、5位。そこから多くのバラエティ番組などに出演し、活躍。最近も『有吉ゼミ』『有吉の壁』(日テレ系)、『マツコ&有吉 かりそめ天国』(テレ朝系)などで存在感を見せている。
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