生き馬の目を抜くような芸能界で、栃木ネタ一本で戦い続けてきたU字工事。自分たちのことを「50ccの原付なんで」と謙遜するが、08年のブレイクから13年間にわたり活躍し続けている。その秘訣を2人に聞くと「変に無理はしないこと」という。確かに2人の漫才には、「この2人ならきっとまた、おもしろい漫才が見られるな」という安心感がある。
では、いかにしてこのようなポジションにたどり着くことができたのか。2人のコンビ結成から現在に至るまでの軌跡を聞いた。(全2回の2回め/#1を読む)
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「益子は人が好いんだよな」「福田はひどいんですよ」
――お2人は高校の同級生でコンビを組まれたんですよね?
福田 そうですね。部活の先輩に「暇だから漫才やれ」って言われて、みんなに声かけたんですけど、全員断られて。最後に残っていたのが益子だったんですよ。それで「卓郎くん、やってよ」って言ったら、「いいよー」つって。そっからなんです。
――益子さんはお笑い好きだったんですか?
益子 お笑いっていうよりかは、演歌とかの方が好きだったんですけどね。ただ、俺は栃木のなかでもすげえ田舎から出てきてたんですよ。高校は大田原って国道沿いのとこにあって、もちろん田舎は田舎なんですけど、俺からしたら街だったんですよね。だから、入学して1年くらいは緊張してて、何言われても「うん、いいよ」しか言えなくて。
福田 益子は人が好いんだよな。
益子 福田はひどいんですよ。当時、クラスでちょっとしたゲームが流行ってたんですけど、「やっぺ、やっぺ」ってはじめて、俺が勝つと、「もう一回!もう一回!」って。こいつが勝つまでやるんですよ。で、今度は俺が負けて「もう一回」つったら、「やんねぇよ」ってスッとシャッター閉めるんです。肩つかまえて、何度お願いしても絶対に折れないんですよ。「街の人間はおっかねえな…」と思ってましたよ(笑)。
「誰でも受かるはず」のテストに落ちた益子
福田 益子は田舎から出てきた頭の悪い子って印象でしたから (笑)。本当に誰でも受かる北関東簿記3級っていうテストがあったんですけど、それに益子だけ落ちてましたからね。先生もびっくりして「何やってんだおめぇ」って。
益子 俺、3年間で一度も学校休んでないんですよ。でも、一度だけ早退したことがあって。それがその簿記に落ちた日だったんですよ。「俺がバカだと思ってたワタナベくんも受かってんのに、なんで俺だけ落ちたんだ…」って考えだしたら、体調悪くなっちゃって。
――そんなにショックが大きかったんですね…。でも、無事に高校卒業されて桜美林大学に2人そろって進学されたわけですから、その後がんばって勉強されたということですよね。
益子 自分なりに頑張ったと思ってます(笑)。