『俺の家の話』、亀和田さんが二回にわたって書いていたしもう最終回も終わってしばらくたつ、がどうしても気になってしょうがないことがあったので録画してたのを見返している。
画面にふと、何かが漂うことがあったのだ。雰囲気とかの話ではなくて、物理的な何か。エッ、と目をこらすと消えているのでこれは自分の飛蚊症とかなのかと目をこすってそのまま忘れるようなことが何回かあった。しかし最終回、明らかに飛んでいるのを見て、これは何かがある、とやっと気づき、それが何かを調べるために録画を見直した。
わりと簡単にそれは判明した。「主人公の寿一の回想場面」にそれが出るのだ。オレンジ色のかすかな光の粒が、画面の片隅にふわふわっと舞うのである。
回想シーンには、それが回想であることや、その回想に特別な意味があることを見る者にわからせるための演出として、画面に霞がかかるとかセピア色になるとか、あるものだ。その新機軸として、光の粒を飛ばしてみたのか?
でもその光が飛ぶ場面を遡って見ているうちに、何か不穏な、恐ろしいような気持ちが湧いてきて止まらなくなった。回想場面そのものは、わりとどうでもいい、物語のキーにもならないような、説明のための場面だったりする。それなのに光の粒は必ず飛ぶ。ルーチンで飛ばしているのだろうか……と思ううちに、それが「火の粉」だと気づいてゾッとした。
寿一は死んでいるのだ。視聴者は、最終回まで見て「これは“もう死んでこの世にいない寿一”が語る観山家の話」だったということを突きつけられてびっくりした。ということは、この寿一の回想に飛び散る光は火の粉で、つまりそれって、寿一が火葬されてる時の炎が飛び散ってるということなのでは。寿一の“想い”が燃えて尽きるということを表現してるのでは。
……いや、たぶん、そんなのはこっちの勝手な思い入れと思い込みだろう。
録画を見直せば見直すほど、「これはこういうことなのか!」と気づいてびっくりする仕掛けがドラマ中にちりばめられている。最終回の、観山家の朝食場面で、嬉しそうに松前漬けを食ってる寿一のご飯と味噌汁だけお盆に載ってる。この時の寿一は「まだ成仏してない寿一」であることがこのあとわかる。そしてこの食事が盆に載ってるのは、つまり「陰膳」なのだ。こういうのが、録画を見るとあとからあとからわかる。
しかし別にそんなことを知らなくてもこのドラマはじゅうぶん面白くて、泣けた。仕掛けなんて掘り返すほうが野暮なことである。そしてこれっきり終わるのがいい。スピンオフとか野暮なことはしてくれるなと強く思う。寿一は成仏したのだから。
INFORMATION
『俺の家の話』
TBS系 放送終了
https://www.tbs.co.jp/oreie_tbs/