石を回収してコンクリート擁壁を設け、門が倒壊しないよう鉄骨で支えると、かろうじて通れるようになった。さらに天守閣へ向かう城内で車が通れるよう、コンクリート製のスロープを2カ所に設けた。
これでなんとか天守閣の修復が可能になったが、工事用車両が通るので、観光客は入れない。
他の天守閣を目指す道は、堀があり、石垣があり、わざと曲げたり、狭めたりしているのに、崩落するなどしていて、とても安全には歩けなかった。
天守閣エリアの公開は「2033年度以降」
復旧工事が進んでも、城内全体が被災しているため、なかなか通れる場所はなく、天守閣のエリアが公開できるのは、なんと2033年度以降に段階的でしかないと分かった。復旧工事は18年度から37年度までの20年間で計画されているが、その最終盤にならないと観光客は天守閣に近寄れなかったのである。
熊本市は、市民から「早く直してほしい」という声を受け、また熊本観光には欠かせない存在だったので、天守閣を最優先で修復すると決めたが、これでは完成しても遠くから眺めるだけになる。
被災から3年半後の19年10月、工事が休みになる日曜日と祝日に限って、行幸坂からの工事道に観光客が入れるようにしたが、これではあまりに制約が大きい。
「いつも天守閣に行けるルートが設けられないか。熊本のシンボルなのだから、20年間も城内に入れなくするようなことはしたくない」。市の担当者の間では「石が落ちてきても安全なように、水族館にあるような透明なドーム状のトンネルが造れないか」などという案も出ていたという。
350メートルの「特別見学通路」を作る
現実的な案として「特別見学通路」の建設が決められた。地上から5~7メートルの高さに、全長350メートルもの“橋”を造り、石垣などを飛び越えて天守閣に向かおうという、加藤清正も驚きの作戦だ。
これだと、被災箇所に関係なく城内に入れる。1~3層に分かれた地盤も意識しないでいい。「難攻不落の城の被災」であるがゆえに生じていた問題は全て解決できた。しかも、橋の下に工事車両が通るルートを設ければ、修復作業を止めることもない。むしろ、城内を見学しながら天守閣へ向かう展望デッキとして整備することで、どんな工事をしているか、目の前で見てもらえる。
ただ、極めて複雑な構造物になってしまった。
最初に検討したのは、どこを通すかだ。礎石のある場所は避けなければならない。樹木も可能な限り伐らないようにする。石垣は崩落の恐れもあるので距離を取る。攻めにくいよう高低差が設けられている場所は外す。
選ばれたルートをたどると、まず階段を上がり、アーチ橋で石垣を飛び越えて、第2層目のエリアに入る。カーブを描いたあと、反対側に直角に曲がり、さらにカーブを描く。これは樹木の間を縫い、石垣にぶつからないようにするためだ。もう一つ階段を上がって第3層目に入ると、天守閣のエリアに至る。