新型コロナウイルスの流行による全国一斉休校などがあった昨年、子どもの自殺者が過去最多を記録した。いじめ、学業不振、進路の悩みなど原因はさまざまだが、「学校に行く」ことが子どもを苦しめているケースが多いという。
ならば、学校に行かない「不登校」は子どもを救う手段のひとつではないのか。日本で唯一の不登校専門紙『不登校新聞』の編集長で、不登校児の著名人へのインタビューなどをまとめた『続 学校に行きたくない君へ』(ポプラ社)の編集にも携わった石井志昂(しこう)さんに、不登校の現状や課題について聞いた。(全3回の1回目。2回目、3回目を読む)
なぜ「学校に行かない自由」が認められないのか
──ここ数年、不登校児の数は急増しています。文科省の発表によると、2019年度は小中学校における不登校児童生徒数が過去最多の約18万人に達しました。何が子どもたちを追い詰めていると思われますか。
石井 不登校経験者から「もう頑張れない」という言葉をよく聞きます。何を頑張っているのかと聞くと、「全部」なんです。勉強はもちろん、人間関係も、部活も、SNSにあげる写真まで頑張っている状態で、あらゆることに自分が超えなければいけないハードルが設定されていて驚きます。
インスタに投稿する写真は、あまり奇抜でも地味すぎでもいけないそうで、ある子は、「土日はみんながあげていそうな写真を選ぶので終わってしまって疲れる」と言っていました。そうやってどこまでも頑張る自分を止められない子が増えているように感じます。
──2016年の「教育機会確保法」の成立以降、少しずつフリースクールやホームスクールも広がり始めましたが、認知度はそれほど高くありません。なぜ「学校に行かない」自由は広がらないのでしょうか。
石井 長年「義務教育」の間違った解釈がまかり通ってきた結果だと思います。そもそも憲法で掲げられている「義務教育」は、「子どもが教育を受ける権利」と、「保護者が子どもに教育を受けさせる義務」であり、「子どもが学校に行かなければいけない義務」ではありません。しかし「イヤだったけれど学校に通った」経験を持つ大人たちが、「自分も行ったのだから」という理由で「学校に行け」と言っているのだと思います。学校に行きたくない子に「学校に行け」というのは、立派な「暴力」です。
私は中学2年生で不登校になりましたが、「学校に行かない」というだけで教頭から「おまえはろくな大人にならない」と怒鳴られたことを今でも覚えています。暴力をふるって相手を怪我させた場合は傷害罪で逮捕されるのに、言葉の暴力をふるって誰かの心を傷つけても許されるのはおかしいですよね?
さらに、日本にはまだ集団で学校生活を送ることをベースとした採用制度や職場環境が根強く残っています。これが「学校に行けないと、将来就職する時に困る」という心理につながり、「学校」への依存度を高めているとも思います。
コロナを契機に学びのかたちを変える
──コロナで全国一斉休校が行われた際、安倍首相(当時)が学校を「不要不急」と発言しました。「学校は必ず行かなければいけない」と思っていた人たちにとって、この発言は衝撃的でした。
石井 コロナのおかげで、「どこで学ぶか」ではなく「何を学ぶか」を重視する方向に意識が向いた人が増えたと感じています。
フリースクールへの問い合わせも増え、数年前までは中卒で就労した人が高卒資格を得るために入るものと思われていた通信制高校では、在籍率が過去最多を更新しました。