一方で、子どもの自殺者や不登校児童の増加に見られるように、子どもたちはいま、前代未聞の苦しさを抱えています。どうしたら子どもが楽になるのかを考えるうえで、これからの「ニューノーマル」の時代には、学びの形をもっと変えていく必要があると私は思っています。
──「学びの形を変える」とは。
石井 子どもが学校に行けない背景を探っていくと、たとえばほかの人と理解の仕方が違っていたり、取り組みたいテーマが限定されていたりと、それぞれ理由があるんです。学校ではみんなと一緒に決まったことをしないといけないので、それができない子は「やる気がない」と見なされてしまう。本人の気持ちに寄り添えば伸びていくのに、現状の学校教育では、学校も子どももお互いに学びの機会を潰してしまっているのではないかと感じています。
これを解決するためには、学校の選択肢を増やすしかないと私は思っています。日本では明治以来、学校の形は変わっていません。コロナで社会構造や学校の学びが見直されたいまこそ、オンラインを活用した「通学」範囲の拡張や、フリースクールやホームスクールを偏見なく受け入れる体制など、多様な受け皿を設けることが、不登校問題の解決につながると期待しています。
──ほかに学校にはどのような「変化」を期待しますか。
石井 たとえば小中学校なら、始業式の挨拶で学校長が「1日も学校に来なくても卒業できます」とか、「あなたたちには学校に通う権利とともに、学校を休む権利がある」ということを子どもたちに伝えてほしいと思います。
「学校に来てほしい」学校側の気持ちもわかりますが、だからといって正しい情報提供をしないのは、「子どもたちが不登校で苦しんでも構わない」という対応と同じで許されるべきでないと思います。もちろん、学校だけで子どもを抱え込もうとすると大変ですから、民間のフリースクールや支援団体と連携して、お互いに足りない部分を補完しあいながら子どもを見守る社会に変わっていくと、不登校で孤立を感じる子どもが減っていくのではないかと思っています。
人生の「本番」を生きる晴れ舞台を用意する役割
──こうした現状のなか、『不登校新聞』の役割はどこにあると思われますか。
石井 『不登校新聞』には不登校やひきこもりの当事者・経験者を中心とした「子ども若者編集部」のボランティア記者80名と、不登校経験者6名を含む9名の有給職員がいます。「不登校」という共通財産を持っている私たちが実際に苦しんだ経験を社会に還元することが、『不登校新聞』の使命だと思っています。
私も中学2年生から不登校ですが、不登校児って「晴れ舞台」がないんですよ。「不登校だったけど克服して今は楽しく高校に通っています」みたいなキラキラした話もありますが、不登校児の「晴れ舞台」が「学校に戻ること」って、そんなつまらない人生はないですよね。不登校児に、学校に戻ることを前提としない人生の晴れ舞台をつくることが、不登校経験者から大人になった私の役割でもあるんだろうと日々悩みながら奔走しています。