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──具体的に「晴れ舞台」とはどんなものですか。

石井 私が「晴れ舞台」と言っているのは、本人が人生の「本番」を生きる場所のことです。『不登校新聞』は、基本的に「子ども若者編集部」の記者たちが、自分が話を聞きたい人にインタビューをして記事を書いていますが、それは不登校児の就労支援や自己実現の場ではありません。

 学校って、上の学校に入るための練習や、社会に出て行くための準備といった模擬ばかりで「本番」がないんです。

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 でも、『不登校新聞』のインタビューでは、自分が憧れている人に会い、そして「これから自分がどうしたらいいか」を聞くこともできます。人によっては人生を大きく変える晴れの大舞台です。だから学校に行けない子でも遅刻せず取材現場に来ますし、対人恐怖があり他人とうまく話せない子がしっかりと自分の意見を伝えてインタビュー記事をまとめます。

 取材そのものも貴重な体験ですが、熊本在住の中学生が一人で飛行機に乗って取材に来たり、11歳の子が都内の取材現場まで一人で来て憧れの漫画家に会ったりするなどさまざまな体験を蓄積して、生きる力を養っているのです。

©iStock.com

憧れの人に話を聞き、さまざまな道を見つけていく

──インタビュー人選や記者の役割分担はどうされているのですか。

石井 編集部では毎月1回オンライン会議を開き、取材したい人やみんなで話合いたいことを検討しています。ボランティア記者はプロではないのでフォローはしますが、インタビューは「自分が聞きたいことを、自分が聞きたい人に聞く」というのを基本に行っています。タイミングのあう人が取材に同席することもあります。

 不登校当事者のインタビューは本気度が違います。「私は学校に行っていませんが、そういう私のことをどう思いますか」と聞かれるとみんな緊張しますし、プロが取材するのとは違う迫力のあるインタビュー記事ができあがります。

 それに、不登校児は学校に行っていない分時間があるので、いつでも取材に行けるというのも強みです。

 中学3年生の時にアナフィラキシーショックを発症し、発作が怖くて不登校になっていた山本くんは、憧れのラッパー・R-指定さんに取材して、「自分には何もないという劣等感からラップを始めた」という言葉に勇気をもらって定時制高校に通い、夢を目指せるようになりました。

 また、学区に中学が1校しかない北海道の小さな町で異端児扱いされて悩んでいたゆらさんは、りゅうちぇるさんに「人にはいろんなカラーがあっていい」と言われて、ひとつの場所や考え方にとらわれない生き方を選べるようになり、高校に進学しました。

 誰も学校に行きなさいと言っていないのに、本人のことを受け止めると、自然といろんな道に進んでいくものなんですよね。

 学校だと学んだことを形にしなさい、作文にしなさいと言ってしまうんですけど、それを無理矢理形にせず、その人のタイミングで芽吹かせていくと、どんどん伸びていきます。取材が終わったあとに顔立ちが大人びている子がいますが、そういう瞬間に出会えるのは役得だなと思っています。

【続きを読む】わが子が「不登校」になったら? 意外にも地雷行為は“担任への相談”

(取材・構成:相澤洋美)

続 学校に行きたくない君へ

全国不登校新聞社

ポプラ社

2020年7月14日 発売