2015年、六代目山口組の運営方針などに不満を持って離脱した直系組長13人が新団体「神戸山口組」を設立。以来、現在に至るまで山口組は分裂状態にある。
何かが起きれば、六代目山口組も神戸山口組も“特定抗争指定暴力団”に指定される恐れがあるので、お互い派手な抗争はしないはずだろう……。そうした世間の認識もあったが、2019年に事件は起きてしまった。
六代目山口組の組員が、敵対する神戸山口組の幹部を射殺したのだ。なぜ男は一人でそんな襲撃を行ったのか。襲撃された幹部はどのような最期を遂げたのか。『相剋 山口組分裂・激動の365日』(サイゾー)の一部を抜粋し、紹介する。
◆◆◆
親子の盃を交わす儀式直後に銃殺
忘れてはならないことがあった。2015年に日本最大の暴力団・山口組が分裂し、今もなお、その状態が続いているということだ。100年以上も続く歴史を紐解くまでもなく、山口組が分裂状態にあるということは、いつ何が起きてもおかしくないことを意味する。そして、世間がそうした認識をあらためて持たざるを得ない事件が起きてしまった。
六代目山口組と対立する、神戸山口組の古川恵一幹部が、兵庫県尼崎市の繁華街で銃殺されたのである。
11月27日。その日、名古屋市内では、六代目山口組の盃事(さかずきこと)が執り行われていた。新たに直参昇格を果たした親分衆が、司忍組長から親子の盃をおろされたのだ。本来なら、新直参との盃儀式は、事始めの日、つまり12月13日に執り行われる。だが、2019年は例年この儀式を行ってきた神戸市灘区の六代目山口組総本部が使用禁止の制限を受けていることから、場所を変え、名古屋市内の関連事務所で通常よりも早い時期に執り行われることになったのだ。
その関連施設に全国から集結した親分衆の表情は、厳粛した空気のなかにあっても柔らかく、滞りなく儀式が終わると親分衆は開催場所となった名古屋を後にしたのだった。そこには、のちに起こる射殺事件の前兆など微塵もなかった。だが、その時すでに尼崎市にはマシンガンなどで武装した元六代目山口組系組員が潜伏していたのである。
銃撃事件発生後、数分後には筆者の携帯電話が鳴り響いていた。たまたま、近くの商店街で買い物をしていた知人からだった。おそらく、古川幹部が射殺されたことを知ったのは誰よりも早かっただろう。
「ものすごい音の銃声が立て続けに10回以上聞こえたので、見に行ったら古川さんの店の前だった。すぐに救急車やパトカーが到着したけど、古川さんは布を被せられて、現場に横たわったまま救急隊員も運ぼうとしてないです」
その言葉に、すでに息を引き取ったことを察知した。本来なら、すぐにでも病院へと搬送すべきところ、それをしないということは、命が助かる見込みはなく、現場保存が優先されたということだろう。その数分後から、筆者の携帯電話が立て続けに鳴り続けることになる。