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ロマンスカーミュージアムは、ロマンスカーのテーマパーク

 小田急電鉄は1923年に創立され、1927年に新宿~小田原間を一気に開業した。2021年は創立98年、開業94年にあたる。本来は開業100年記念行事としてロマンスカーミュージアムを添えたかったかもしれない。それを早めた理由は、前述の通りの車両基地の都合と、もしかしたら背景に「生方氏がお元気なうちに開館テープカットをお願いしたい」という気持ちがあると思っていた。

 私が鉄道ライターとしてそういう美談が欲しいという気持ちもある。しかし、ロマンスカーミュージアムに生方氏の名前はない。3000形、3100形だけが彼の名を覚えているようだ。

3100形ロマンスカー

 ロマンスカーミュージアムの1階には「ロマンスカーアカデミア1」という小さな部屋がある。そこの壁に小田急電鉄の年表があり、部屋の中央には下北沢駅地下立体交差の完成予想模型がある。これらも興味深いけれど、約100年の小田急電鉄の歴史と技術を紹介するには小さすぎる。結論として、ロマンスカーミュージアムは、ロマンスカーのテーマパークであり、小田急博物館ではなかった。私が過度の期待をしただけだったようだ。

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2017年の「怪文書事件」

 私と生方良雄氏の出会いは2017年だ。当時、小田急社員の内部告発と思われる怪文書がネットで話題になっていた。怪文書は「小田急電鉄は新社長の方針により、すべての保存車両を解体処分する方針」という内容で、廃車のための回送日、解体業者引き渡し日も記された。これは当初、社員有志と小田急OB向けに郵送され、そのうちの誰かが匿名でネットに流した。鉄道ファンが騒然となった。

「ロマンスカーアカデミア1」にある下北沢駅の模型

 この事態を収拾するために動いた人物が生方良雄氏だった。当時91歳。真夏のような暑い日に、新宿のデパートの喫茶店で面会した。私は彼がそれほど高齢とは思わず、こちらからお宅に伺うべきだったと後悔した。しかし生方氏はとても元気で、「新社長は車両部出身。記念すべき車両を壊すはずがない。近々、面会して真意を聞く」と意気込んでおられた。

 結局、小田急広報から「限られた事業用地内で、より多くの車種を残すため、同形式の7両のみ解体、15両を保存」という方針が伝わってこの騒動は終息した。

小田急電鉄「保存車両全車解体」デマの教訓:杉山淳一の「週刊鉄道経済」 - ITmedia ビジネスオンライン
https://www.itmedia.co.jp/business/articles/1707/07/news027.html

 後に、ロマンスカーミュージアムの構想は10年前からあったと公式発表された。2017年の車両移動、一部解体はその方針に沿ったもの。怪文書の主の杞憂だったことになる。