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性能に納得しない気持ちが原動力に

 現在、生方氏は95歳。COVID-19の懸念もあり外出は控えているという。小田急広報によると「このような社会情勢で、生方先生に心身のご負担をかけてはいけない」という配慮があったという。

 しかし生方氏はお元気なようだ。ロマンスカーミュージアムの開業についてメールでご様子をお伺いしたところ、2度も長文の返信をいただいた。

「小田急ミュージアム構想は昔からありました。しかし、一向に社内決定されず、車両部は喜多見基地が地下車庫で保存に適しているとして、何両か保存していました。車両保存については、客集めのためロマンスカーのみ保存しろという意見もあれば、技術的に大きく変化した一般車でも保存すべきだという意見がありました」(生方氏)

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 小田急史でも画期的な一般車として、2200形と9000形が挙げられる。2200形は従来の吊り掛け式駆動とは異なり、カルダン式駆動へ変わった転機となる車両だ。吊り掛け式は、モーターの軸と車軸を平行に配置して、ギアを介して駆動する方式。カルダン式はモーターと車軸を自在継手(カルダンジョイント)で接続する方式だ。カルダン式は車軸への負荷が小さく、電車の高性能化に大きく貢献した。9000形はブレーキ制御方式が従来の電空協調制御(電気ブレーキと空気ブレーキを連動させる)から、チョッパー制御(回生ブレーキ)に変わった。この2車種は小田急の電車の歴史的転換点と言える。

 2017年の広報談話によれば、この2車種も1両ずつ保存されているはず。しかし、ロマンスカーミュージアムには収容されていない。小田急と言えば「アイボリーホワイトの車体に青い帯」を懐かしむ人もいると思うけれども……。

「古い図面や資料などの保管、さらに博物館法にもとづく博物館として司書や学芸員を配置するものまでいろいろ意見がありました。今回はその中途半端な形で私は不満です」(生方氏)

歴代のロマンスカー

 ロマンスカーについても、歴史を追うと解釈が分かれる。私にとってロマンスカーは「展望席がある電車」だけど、ロマンスカーミュージアムではSE車、高性能連接車体を起源としているようだ。しかし、生方氏の著書『小田急物語』(多摩川新聞社)によると、小田急が公式にロマンスカーと宣伝した電車は1949年の1910形からだ。ロマンスカーの由来は2人掛けの座席を採用したからで、映画館では2人用座席をロマンスシートと呼んでいた。

 生方氏はさらにさかのぼり、戦後に新宿~小田原間をノンストップで走った1600形がロマンスカーのルーツだという。ただし1600形はロングシートに布のカバーを掛けただけ。1951年に登場した1700形は、すべての座席が2人掛けの転換クロスシートになって、ようやくロマンスカーの体裁が整った。それでも生方氏は性能に納得していなかった。その気持ちが3000形SEを誕生させる原動力になったといえそうだ。