昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

「東大に入って初めて、楽に息ができると感じました」豊田真由子が振り返る“名門女子校・桜蔭時代”

豊田真由子さんインタビュー #1

2021/05/09

source : 文藝春秋 digital

genre : ライフ, ライフスタイル, 教育, 社会, 政治

 日本の大学の最高峰「東京大学」に初めて女性が入学したのは1946年のこと。それから75年――。時代と共に歩んできた「東大卒の女性たち」の生き様とは。

 女子校として唯一、高校別東大合格者数トップテンに入り続ける桜蔭中学・高校で成績トップレベルを保ち、東大卒業後は厚生省(現・厚生労働省)に入省した元衆議院議員の豊田真由子さん(1997年、法学部卒業)に、「大学に入って初めて、楽に息ができると感じた」という知られざる思いなどについて伺った。(全2回の1回目/#2に続く)

豊田真由子さん

◆ ◆ ◆

男尊女卑の家庭で育ち、申し訳ないという気持ちだった

――豊田さんは過去のインタビューで、幼少期から自信がなく、自己肯定感の著しく低い子どもだったと仰っていましたよね。「著しく」と強調するほどかと驚いた記憶があります。

豊田 父がとても厳格な人で、常に謙虚であれと言われていたのと、昔ながらの男尊女卑思想だったので、ほめられた事がありませんでした。

――男尊女卑というと、女こどもは下がっていろ、みたいなことを言うのですか。

豊田 そうですね、「男の子が欲しかったのに」と言われていたので、私は三姉妹なんですが、みんな、ずっと申し訳ないという気持ちだったと思います。家庭を平穏にしなければ、両親を喜ばせなければと、常に思っていました。

――お父様は進学塾をされていたとか。

豊田 父は東大法学部を出て企業に勤めていたんですが、体を壊して辞めることになって、学習塾を始めたんです。子どもの私が言うのもなんですが、ものすごく頭のいい人で博識、家には数万冊の本がありました。何でも聞いたら答えてくれるので、頼りにはしていました。ただ、子どもと一緒に遊ぶというようなタイプではなく、少し大きくなってから、よそのお家を見て「えー、お父さんって遊んでくれるんだ、いいなー」と思ったりしました。

三度の飯より勉強が好き(笑)

 

――お母様はどんな方ですか。

豊田 母は東京外語大を出てロシア語の通訳をしていたのですが、父と結婚してやめてしまいました。そういう時代ですよね。愛情表現が上手な人ではないですが、どんなにしんどいことがあっても、毎朝早く起きてお弁当を作り続けてくれました。私は両親からしたら姉妹で一番不器用で、一番勉強する存在だったと思います。

――一番勉強するというのは、勉強が好きで?

豊田 はい、三度の飯より勉強が好き(笑)。他の子がゲーム好きとかサッカー好きとか言うように、私は勉強するのが楽しかったんです。父が就寝時間に厳しかったので、夜は寝たふりをして布団の中にランプを入れて勉強をしていたくらい。私は寝相が悪かったから父が布団をかけ直しに来てくれたんですけど、その時は本を隠して。なぜそこまでしたかというと、一つは、知らなかったことを知るのが純粋に面白いから。もう一つは、死ぬまでの限られた時間で、学ばなければならないことはたくさんある、時間を無駄にできないと思っていたから。幼稚園くらいから父が子どもと論語を読むというのをやっていて、朱子の「少年老い易く学成り難し」のフレーズがすごく心に刺さったんです。

 そしてどこまでいっても、自分に満足するということはなくて。やればやるほど、知れば知るほど、探究すべき世界の大きさを前に、己の未熟さを痛感していました。陽気で活発な子でしたが、一方で「自分はなんてダメなんだろう」と、よく悩んで落ち込んでいました。