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「東大に入って初めて、楽に息ができると感じました」豊田真由子が振り返る“名門女子校・桜蔭時代”

豊田真由子さんインタビュー #1

2021/05/09

source : 文藝春秋 digital

genre : ライフ, ライフスタイル, 教育, 社会, 政治

note

いい子であらねば、人の嫌がることを率先してやらねば

――それを肌身で感じていたわけですか。

豊田 決して無理をしていたわけではないけれど、いい子であらねば、人の嫌がることを率先してやらねば、みたいな規範に則って、常に行動していましたね。6年間ずっとクラス委員をやって、中3の時には学校を代表して「日本私立中学高等学校連合会会長賞」というのをもらって、ますます、先生や級友たちの望む私でないといけない、そうでないと好いてもらえないと。元々自分に自信がないだけに、余計に追い詰められていったようなところがありました。私もみんなと同じがいいよ、と思って羽目を外してみたら、すごく批判されたこともあって、何をどうしたらいいのか分からなくなったりもしました。だから、大学で友人たちが、自分を理解してそのまま受け止めてくれて、ただあなたといて楽しいから一緒にいるんだよ、というのが、とてつもなくうれしかった。初めて居場所を見つけた感じがしました。

 

公のために働く人になりたい

――だから東大に入ってから息をしやすくなったということですね。サークルは官僚を目指す人が多く集まる行政機構研究会などということで、入学時点で官僚になろうと。

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豊田 それはもっと前から志していて、中1の頃には、官僚というか「公のために働く人になりたい」と考えていました。

――厚労省を選んだ理由の一つは、大学時代に児童養護施設や障害のある子が通うデイサービスのボランティアをしたのがきっかけと別のインタビューで仰っていましたね。

豊田 はい。それと先ほどもお話ししたように、小学校は公立で色んな家庭環境の子がいたので、虐待されていたのかなという子もいて、当時から気になっていました。私自身、幸せいっぱいの家庭環境では決してなかったのですが、一つの教室にも悲しみや苦しみが満ちているなと学んだのは大きかったです。

 

――1997年入省の同期は何人ですか。

豊田 入った時は14人で、女は私1人。