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「やっぱり私は医者なんだ」西川史子50歳が振り返る「年収4000万」への思い、タレント業を減らした“舞台裏”

西川史子さんインタビュー #1

2021/05/02

source : 文藝春秋 digital

genre : エンタメ, 芸能, テレビ・ラジオ, ライフスタイル, 働き方

業界内、医者仲間から言われたこと

――「素人のくせに」みたいな業界内からのやっかみはなかったですか。

西川 「素人が出てくるな」というのはすごく言われましたね。タレントさんから「医師免許があるからいいわよね」という言葉を投げかけられたり。あとは医者仲間から、「同じ学校の出身者だと思われたくないから大学名を言わないでくれ」とか「医者を名乗るな」とか、色々言われました。

 

 でも、そんなことはなんでもないくらいテレビの仕事が面白かったんです。今はもう自分の出た番組を全然見ないようになりましたが、昔は番組ひとつにつき、300回は見返していました。どこを使われて、どこをカットされたのかとか……。

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すごく嬉しかった爆笑問題・田中の言葉

――西川先生といえば、やはり13年にわたってレギュラー出演していた『サンデー・ジャポン』の印象がお茶の間に浸透していると思います。生放送だけに毎週プレッシャーも大きかったのでは。

西川 最初は病気の解説といった「医療情報を伝える文化人枠」みたいな形で呼ばれていたんですが、そのうちにレギュラーになって。私はずっと、画面から見て一番左はじの席に座るのが夢だったんです。自分の右側から見た横顔が好きだから、右から撮ってもらえる位置に座りたかったのね(笑)。でもその場所をもらったことで今度は「何か言わなきゃ」って自分で自分を追い込んでしまって、前日にお腹を壊すこともありました。

――メンバーに相談したりしたのですか。

西川 (爆笑問題の)田中さんにはよく相談していましたね。太田さんは全く知らなかったと思いますが(笑)。『サンジャポ』卒業、最後の日の放送で田中さんが、「ある時期、西川さんが日本中のタレントの中で一番テレビに出てた時代があったよね」とねぎらいの言葉をかけてくれて。この言葉はオンエアされてないと思うんですけど、「そっか、私頑張ったんだよね」と思えて、それはすごく嬉しかったです。

 

 一番忙しかった時期は、それこそ一日何時間カメラの前にいたんだろうっていうくらいで……週6稼働で一日2、3現場は当たり前でした。月曜日だけはクリニックの診察に出ていたのでお休みしましたが、マネージャーはタレントの仕事が入らない日に熱を出してくれるんですね(笑)。あまりに忙しくて、周りが倒れることはよくありました。