1998年4月6日月曜日。この日、長岡高校(新潟県)を卒業したばかりの中村三奈子さん(当時18歳)は、こつ然といなくなった。その後、韓国に入国したとされたが、その後出国した記録はなく、いまだに行方は分かっていない。そして、その足跡にはいくつもの謎が重なる――。

※本記事は、ノンフィクションライターの菅野朋子氏が「文藝春秋」2011年12月号に寄稿した「拉致疑惑 消えた少女・中村三奈子さんの謎」をもとに、新たな取材成果を加筆修正したものです。

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「今日は予備校の入学金を納める日だよ」

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 6日の朝、当時、小学校の先生をしていた母親のクニさん(現在78歳)が出がけに声をかけると、三奈子さんは、「うーん」と答えたという。

「夜の7時過ぎに一度、帰宅した時に家は真っ暗で、でも、ああ、図書館かビデオ屋さんにでも行ったのかしらと思って町内の集まりに出かけたんです。1時間ほどで戻ってきましたが、まだいなくて、あの子の行きそうな所を探し回りました……」(クニさん)

 それでも、下着や衣類も手つかずでいつも持ち歩いていた鞄や気にして毎日塗っていたアトピーの軟膏もそのまま置いてあったため、クニさんははやる気持ちを抑えて1日待った。しかし三奈子さんは帰宅せず、8日の早朝、地元の警察に出向いたが、「財布だけ持って出たなら2、3日で戻るでしょう」と取り合ってはもらえなかった。

中村三奈子さんの捜索チラシ(長岡市HPより)

ゴミ箱から見つかったレシート

 家出ならば資金が必要だが、入学金50万円が入った封筒は3万円だけ抜かれ、残金47万円はそのまま。「3万円借りました。私の通帳からおろしてください」と書かれたメモがチラシの下から出てきた。通帳も持ってでておらず、ただ、三奈子さんの部屋には10円玉を貯めていたペットボトルが空になって転がっていたという。

 そして、三奈子さんの部屋のゴミ箱には、見つからないように細かく千切ったとしか思えない紙切れがあった。クニさんが、一つひとつつなぎ合わせると証明写真のレシートになった。新潟県庁の売店のもので、ほどなく、パスポートを取得したことが判明する。自宅のあった長岡市の出張所ではなく、在来線で1時間以上かかる新潟市にある県庁までわざわざ出向いていた。県庁で申請すると発給が1週間ほど早いという。未成年者のパスポート取得には保護者の承諾が必要だが、 

「図書館のカードを作るのに私の保険証が必要で三奈子はそのまま持っていたんです。それを使って保護者欄にはあの子が代理として記入したようで、表に記載した文字と一致しているといいます。自分の意思でパスポートをとったのか……。海外へのあこがれなんて聞いたこともなかったし、どこかに行きたいと話していたこともありませんでした。その年のお正月には親戚に『ママがひとりになるから遠くには行かない』って言っていたそうです……」(クニさん)