三奈子さんは2人姉妹の次女で、父親は三奈子さんが生まれる前に他界。当時、姉は関西の大学に通っていて、クニさんと三奈子さんはふたりで暮らしていた。三奈子さんは地元の進学校、長岡高校を3月に卒業したばかりで、3月に受けた国立大は不合格となったが、それでもあまり落ち込んだ様子はなく、4月からは地元の予備校に通う予定だった。
旅行会社に電話をかけた「ハスキー声の女」
三奈子さんがパスポートを取得したことが判明した後、クニさんは、新潟空港や旅行会社などを尋ね歩いた。ひと月後、ようやく、いなくなった翌日の7日、午前9時40分発の韓国行きと14日に日本に戻る航空券を予約していたことを突き止めた。予約の電話が旅行会社に入ったのはパスポートが発給された4月3日。4万8000円だった。
しかし、この後出てくるさまざまな証言は三奈子さん像と大きくかけ離れる。
まず、電話口の声がハスキーで24、5歳くらいの女性だったという点だ。ひどく急いだ様子で、「明日でも明後日でもなるべく早い韓国行きの航空券がほしい。韓国には行ったことがあるのでホテルの手配は必要ない」と言ったという(旅行会社関係者)。声色から年齢を測ることは難しいが、三奈子さんは甘い声で、韓国に行ったことも、まして海外旅行の経験すらなかった。また、当日、空港の団体カウンターで搭乗券を受け取った女性もハデなブラウスを着ていたと証言されたが、三奈子さんが好んだのはクニさんのお下がりなど落ち着いた色で、いなくなった日に着ていたとされるグレーっぽい紺色のパーカーとも異なっていた。
しかし、それでも三奈子さんが韓国に入国したとされる有力な手がかりとなったのが、韓国の金浦空港に提出した入国カードの存在だ。2004年にこのカードを確認したクニさんは、「カードの筆跡は確かに娘のものだった」という。
“波のようなサイン”の意味
入国カードには滞在先を書き込む欄があるが、三奈子さんのカードには波のようなサインが記されていた。これが何を意味するのか解明できなかったが、韓国の元入管関係者に照会するとこんな答えが返ってきた。
「おそらく『T/S』(トランシップ)のサインでしょう。これは、入国審査時に滞在先が空欄になっていた場合、旅行者に質問し、韓国を経由して他国に向かうと答えた場合、記載するものです」
そうだとすれば、三奈子さんは第三国へ行く予定だったのだろうか……。
入手した座席名簿を見ると、飛行機の座席は三奈子さんは3人掛けの席の窓側で、隣は空席、通路側に座った女性がハスキーな声で派手な服装らしいことがわかった(当時、新潟、韓国を結ぶ飛行機の機種の座席は、2人掛け、通路、3人掛けだった)。
この女性を仮にAさんとしよう。