Aさんの自宅を訪ねると……
長岡市近郊に住むAさんは韓国出身で70年代に日本人男性に嫁ぎ、日本に帰化。90年代後半には、地元に韓国式の寺を建て、宗教法人を設立し、その代表を務めていた。
クニさんがAさんを尋ねると、
「(三奈子さんは)生きていますよ」と話したという。
その根拠を問うため、筆者がAさんの自宅を訪ねると、こう憤慨した。
「あの時は韓国式の寺を建てるための視察旅行で韓国に行った。飛行機には、設計士さんら3人で搭乗して、近くに座っていた女の子についてはまったく記憶にない。私は警察にもそう話した。お母さんに『生きている』といったのは、私はその人の後ろにあるものを見て話をするから、三奈子さんという女の子がおばあさんに連れられているのが見えたからそう答えただけ」
「その女の子と金浦空港で一緒に出口まででた」
しかし、このAさんについて韓国で取材をすると韓国人の知人からはこんな話も飛びだした。
「Aがずいぶん前、(日韓)ワールドカップが終わった頃だったか、日本でいなくなった女の子について取り調ベを受けたと文句を言っていた。『その女の子と金浦空港で一緒に出口まででた。空港には男女ふたりが出迎えにでていて、ほんの少しの謝礼しかもらえなかったのに、こんなことになって』と」
一連の不可解な動きには三奈子さんが信頼した、もしくはそうせざるを得なかった第三者の存在があったことは想像に難くない。では、その目的は何だったのか。
三奈子さんは、パスポートの有効期限が切れた03年、特定失踪者問題調査会から北朝鮮による拉致の可能性が完全には排除できない特定失踪者とされた。拉致に詳しい捜査関係者が慎重に言葉を選びながらこう言う。
「可能性のひとつですが、第三者が日本人として韓国に入国する目的だったと考えれば、パスポート取得は日本出国よりも韓国入国のために必要だったと考えられます」
今一度、原点に立ち戻っての捜査が必要なのではないか。