2021年4月5日、私と通訳のTは大量のコメとビールとタバコを抱え、タクシーに乗って群馬県の農道を進んでいた。行き先はこれまでの記事でも紹介した新田上中町の2棟の貸家、ベトナム人不法滞在者たちの男女十数人が集まり住む、通称「兄貴ハウス」である。

 相変わらず、家の外には洗濯済みのジャージが乱雑に干されていた。ベトナム人の技能実習生や不法滞在者はジャージとパーカーの着用率が異常に高いのだ。鍵の掛かっていない玄関の引き戸を開けると、安普請の古い木造家屋のカビ臭とベトナム料理の臭いと多数の人間の体臭が入り混じった独特の異臭が鼻に飛び込んでくる。

「北関東家畜窃盗事件」の主犯格とされた男

 私たちも慣れたものである。挨拶を大声で呼ばわり、返事の声が聞こえたので家にずかずか上がる。すると居間に、屋内なのにネズミ色のコートを着ているスキンヘッドの小柄な中年男が1人で座っていた。この家に暮らす他の不法滞在者たちよりも年かさである。

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「シンチャオ。あなたが、“群馬の兄貴”(Anh Cả Gunma)ですか?」

「そうだ」

兄貴ハウス(通称アニハ)で取材に応じる“群馬の兄貴”ことレ・ティ・トゥン。指輪とズボンの独特のセンスは相変わらずだ。(筆者撮影)

 昨年秋に日本中の耳目を集めた北関東の大規模家畜窃盗事件──。その主犯格とみなされた“群馬の兄貴”ことレ・ティ・トゥン(以下「兄貴」)は、そう言ってうなずいた。両足にリアルな豹の足がプリントされた布のズボンは、海外のチンピラか大阪のおばちゃんぐらいしか着ていないと思える独特のファッションセンスだ。

兄貴とヤクザとサングラス

 兄貴は2011年から日本で暮らしているらしいが、日本語がほとんど話せない。机の上にあるナイフを手に取り、「まあ食え」と身振りで示しながら柿とオレンジの皮を剥きはじめた。いずれもスーパーのプラスチックパックに入っているので、店で購入したものだろう。

「留置場で日本のヤクザと友達になった。そいつは3000万円を盗んだって言っていたが。写真もあるぞ」

 柿をつまみながら紫煙をくゆらせる。しばらく話していると、なぜか兄貴は自分の荷物を開いて数葉の写真を取り出した。沖縄のビーチで入れ墨をさらしながらくつろいでいる日本人のヤクザの写真である。

 事実上の別件逮捕(後述)が繰り返されたことで、兄貴は3ヶ月以上のブタ箱暮らしを余儀なくされたのだが、「お勤め明け」にもかかわらず更生した様子はない。言動にはそれなりに「悪そう」な雰囲気がある。

愛用のトランクから謎のヤクザの写真を取り出す兄貴。身体に入れ墨が入っている者同士、留置場で気が合ったらしい。(筆者撮影)

 ただ、彼の言動には鷹揚さも感じられた。取材前はもうすこし貧相な人物像をイメージしていたが、本人の様子を見ていると、近隣一帯の不良ベトナム人のリーダー格にふさわしいオーラもある。

「このサングラスは逮捕されたときに警察に押収されたが、釈放されたときに返してもらえた。群馬県警の取り調べは、特に殴られたりはしなかったが、やってないことまで疑われたのは腹が立つな。こんちくしょうめ」

 そう毒づく兄貴を前に、私の取材ははじまった──。