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渡邊と初めて出会った日

4月10日の試合では終了間際にブザービーターで3ポイントを決めた渡邊雄太 ©️getty

「アメリカ人に勝つために、彼らよりいい選手になるためにはどうしなきゃいけないかっていうのを考えて、毎日努力して、上手くいかない時もたくさんありました。それでも節目節目に努力して良かったなって思える瞬間がいつもあったんです。そういう機会に恵まれたのもすごくありがたかったですし、やっぱり自分がやり続けた結果かなと思うので、今後も続けていかないといけないなって思ってます」 

 今では目を輝かせてそう語る渡邊だが、カレッジ時代の4年間、そしてNBAの試合に出るようになったメンフィス・グリズリーズでの2年間も、現在の位置に辿り着くことが常に有望視されてきたわけではなかった。

 渡邊と初めて出会ったのは、彼がまだジョージ・ワシントン大の1年生だった2014年11月。かつてニュージャージー・ネッツの本拠地だったプルデンシャルセンターでのことだった。

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 当時の広報の紹介でロッカールームで顔を合わせた際には、同僚たちが引き上げたあとに一人で座っており、こちらから声をかけないとほとんど口を開かず、大人しさが印象的だった。それでも聡明な語り口と礼儀正しい態度は今と同じ。質問の意図をすぐに理解し、的確な答えを返してくる頭の良さは際立っていた。

 また、「様々なことをこなせる選手」と事前から聞かされていたが、実際にプレーを見てもその多才さには驚かされた。サイズ、スキルに加え、このような性格の良さ、聡明さも持ち合わせているのであれば、このまま順調に伸びればNBA入りも期待できる素材だとすぐに考えるようになった。

 ただ、筆者は渡邊が在籍していた間、多くのジョージ・ワシントン大のゲームを取材したが、日本人、アメリカ人を問わず、NBAに詳しい関係者から「NBAは厳しい」「あれくらいの素材はアメリカに幾らでもいる」といった意見も何度となく聞かされた。

 日本人としては大型の206cmの身長とはいえ、バスケットボール選手としてみれば身体能力や得点力はカレッジレベルでも飛び抜けているわけではなかっただけに、伸びしろに疑問を持った人が多かったのだろう。また、メンフィスでの2年間でも、「これ以上は難しい」とささやく関係者は少なからず存在した。