「とにかく一日一日を消化することで精一杯」だった毎日
しかし、デビュー前からわけもわからないうちにMVやCMを海外で撮影し、デビュー後はライブにキャンペーンにテレビ出演にと仕事に追われる日々に、本人たちは戸惑いを覚えていたという。最近のインタビューで、由美は《ライブも決まってリハーサルをするけど、歌ったことがないから、そりゃリハで声枯れるよね、みたいな。で、いきなり「渋公でやります」ってなって「え!?」って。そういう状況が何年も続いて。(中略)「歌すらまともに歌えてないのにこれはなんだろう?」って。劣等感の塊みたいな感じですごく嫌でした》と打ち明け、亜美も《私もこれを本職にしたいという夢があったわけではなかったから困ったよね(笑)。ただただ困ったよ。でも、翌日の仕事は決まってるし、とにかく一日一日を消化することで精一杯》だったと振り返っている(※2)。
2人が活動を心から楽しいと思えるようになったのは、デビューから5年ほど経ち、全米に進出したときだった。アメリカでは2000年に音楽見本市サウス・バイ・サウスウエスト(SXSW)で初めてライブを行なったのに続き、2002年には北米ツアーで12都市をまわる。最初のツアーの会場は小さなライブハウスが中心だったが、どこも環境は最悪で、日本のように大勢のスタッフもおらず、機材の積み込みなども自分たちでしなければならなかった。しかし、バスで移動しながらの過酷なツアーを通じて、2人はようやく下積みができたような気がして、「再デビューした気持ちだね」と話していたという(※2)。
アニメ『HiHi Puffy AmiYumi』は全米でも大人気に
この北米ツアーの最中、2人の前に、アニメ専門局のカートゥーン・ネットワーク(CN)の副社長で番組プロデューサーのサム・レジスターが現れる。レジスターはちょうどそのころ、たまたまテレビやラジオでPUFFYの曲に接して、2人をモデルにしたアニメの制作を思い立つと、本人たちに直接会って企画を持ち込んだのだ。こうして2年後の2004年には『Hi Hi Puffy AmiYumi』の放送がCNで始まり、アメリカでの人気に火がつく。翌年、2度目の北米ツアーでは、最初のツアーよりはるかに大きな会場をまわることになり、子供のファンを含む満員の観客を熱狂させた。
それでも彼女たちは、全米でのブレイクにはあまり実感が湧かなかった。当時の雑誌記事でも、亜美が《今回のこの事態というのは、わたしたちの望んだことじゃないというのが実感のなさだとおもうんです。けっしてやる気がないわけじゃないんですけど……》と吐露すると、由美も《そもそも二〇〇〇年に最初アメリカへ行くときも思い出づくりなんですよ。ステージに立つなんて、もちろん考えてなかったです。“こんな二度とない経験やらせてもらえるんだったら、やろうよ”という興味本位と思い出づくりで、今なおそれなんです》と語っている(※5)。