絵画は観て感じて、楽しむもの。まずはそれでいいのだけれど、さらに深く味わうには「読む」という手もある。そこに含まれている意味や豊かな物語を汲み取れば、対面したときの驚きに留まらずさらに長く作品と付き合える。そんなことを実感するのに格好な展覧会が、東京・上野の森美術館で開かれている。その名も「怖い絵」展。
絵を知ることが、恐怖を極限まで煽る
このタイトル、聞き覚えのある人も多いはず。そう、名画のなかに潜む「恐怖」を読み解いたベストセラー『怖い絵』シリーズと同じだ。それもそのはず、本の著者・中野京子が描き出した世界をベースに、今展は組み立てられているのだ。
「感性で絵と接するようになったのは19世紀以降のこと。それ以前は絵に含まれる歴史や象徴、作者の思惑を読み取るのがふつうでした。『恐怖』という視点から、想像力を駆使して改めて絵画と接する機会になれば」
と、開会に際して中野京子さんは言う。なるほどそう聞いてから作品と対峙すれば、ぱっと見たときには気づかなかった興趣が画面のあちらこちらから湧いてくる。
たとえば、251×302センチという巨大さに驚かされてしまう《レディ・ジェーン・グレイの処刑》。フランス人画家ポール・ドラローシュが描いた絵画は、強い明暗をつけた画面構成に目を惹きつけられる。「明」の部分には、白い衣装をまとって目隠しされた女性が描かれている。透き通るような肌が眩しい。全体が不穏な空気に満ちて妖しい魅力を発散しているものの、すぐに見て取れるのはそのあたりまで。
ところが絵に付された解説を読めば、新たな見どころがいくつも浮かび上がってくる。中心に描かれている女性はジェーン・グレイ。16世紀に生きた彼女は、イングランドで最初の女王を宣言した人物である。
ただし、政争に巻き込まれた彼女が玉座にいたのはたった9日間。反対勢力に追われて、16歳4ヶ月の若さで処刑されてしまう。この絵はそんな悲劇の女王の最期を描いたもの。彼女の足元にあるのは斬首台。目隠しされているのでそれを手探りしている。脇の侍女たちは嘆き悲しみ、右手のほうではいつでも首を落とさんと斬首人が待ち構えている。床に敷かれた藁は速やかに血を吸いとるためのものだとか。
聞けば聞くほど、一つひとつの細部に目が釘付けになる。絵の歴史的背景や事物の意味を知ることで、この作品が有する悲劇性はぐんぐんと増す。いったん目を離して次に目をやったら最後、血しぶきが飛び歴史の歯車がゴトリと回転してしまうんじゃないかと思わせる。絵に対する「知」が、恐怖を煽りに煽るのだった。
「怖い絵」を読むには体力と気力を用意して
ほかにもヘンリー・フューズリ《夢魔》は、女性の腹の上にいるのが怪物インクブスと知れば今夜眠りにつくのがなんだか怖くなる。ウィリアム・ターナー《ドルバダーン城》は、描かれた城の歴史的背景を聞くとウェールズの負の歴史によって画面がいっそう重苦しくなる。ゲルマン・フォン・ボーン《クレオパトラの死》からは、美と華やかさを誇る女王クレオパトラの背負った精神的重圧が読み取れる。
会場に並んだ約80点の西洋絵画・版画のすべてに、かようにたっぷりと語るべきものが詰まっている。ひとつずつを読み解こうとすれば目が回りそうになるけれど、これほど知的興趣に満ちた時間もまたとない。観る側としては体力と気力をしっかり用意して、会場で1点ずつの絵画と存分に戯れてみたい。