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「お父さんとお母さんが別れたらどっちについていきたい?」

「こたつから2人でちょこんと顔を出して覗いていた。警察官が『包丁はどこ?』と聞くと『お父さんがベランダから投げた』と。その後、外で血のついた包丁が見つかりました。警察官は田中さんらに『このままだとどっちかがどっちかを殺すことになる。離婚したほうがいい』と諭して、大翔くんと蓮翔ちゃんに『お父さんとお母さんが別れたらどっちについていきたい?』と聞いたんですよ。すると2人は声を揃えて『お父さん』とはっきり答えました。大翔くんも血の繋がりのないお父さんがいいんだと迷わず言っていましたよ」

 その後、元妻は到着した救急車で病院に搬送されていった。翌朝、高齢男性が田中容疑者の部屋の前を通ると、元妻が立っており「部屋を追い出された」と言ったという。

田中容疑者らが使用していた子供用品 ©文藝春秋

「田中さんとはちょくちょく話していたけどね、元奥さんとはこのとき初めてちゃんと話しました。『1万円貸してくれ』と言われたんだけど、それは難しいけどバス代くらいならと5千円を貸しました。そのお金で市役所へ行ったようだが、その後の足取りはまったくわかりません」(同前)

壮絶な夫婦喧嘩の後に離婚が成立

 元妻について近隣住民からは「恰幅がよくて田中容疑者よりも大きい」「夏場には少し露出の多い服を着ていた」「ほとんど見かけず、話したことはない。子供と遊んでいるのも見たことがない」といった声が聞かれた。

 一方で田中容疑者は「言葉遣いも丁寧だし、深々と頭をさげる」「入れ墨を彫っていて見た目は怖いけど、話すと気が弱そうな印象。入れ墨は虚勢を張っているだけなんじゃないか」という印象を持つ人が多かった。

 12月の壮絶な夫婦喧嘩が引き金となり、ついに家を出た元妻。田中容疑者は後日、夫婦喧嘩を仲裁した高齢男性の元へ離婚届を持って訪れたという。

「田中さんが『離婚届の証人になってほしい』というから、『子供たちもいるんだしよく考えなさい』と言ったんです。それでも『妻はアル中で暴れると手がつけられない』『どうしても別れたい』と。それで同月中に離婚が成立したんです」

 ここから、父と子3人での新生活がスタートした。田中容疑者はどこで道を誤ってしまったのだろうか。(#3へ)

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