英国には「欧州(ヨーロッパ)に行く」という言い回しがある。日本人からすると「そもそも英国も『欧州』ではないのか」と不思議に感じるが、この表現は、「他所(よそ)」である「ヨーロッパ大陸に行く」ことを意味している。ちょうど、日本の最西端・与那国島では、「(同じ沖縄県である)沖縄本島に行く」のを「沖縄(=他所)に行く」と言うように、「欧州に行く」という表現を用いるとき、英国人は「欧州」を「他所(よそ)」と見ているのだ。

 もちろん、対アフリカ、対アジア、対ロシア、対米国など、その時々の文脈に応じて英国も「欧州の一員」として振る舞うが、英国人の心情の根底には「英国と欧州は違う」という強烈な自意識がある。紆余曲折を経ながらも、最終的に「欧州=EU離脱(ブレグジット)」を選んだのも、そうした自己意識が働いたからだろう。そして「欧州とは違う」という英国人の「自己意識」や「したたかさ」を改めて印象づけたのが、今回のコロナ禍で勃発した「英国と欧州のワクチン争奪戦」だった。

 筆者は「文藝春秋」6月号に「英国コロナ対策『大逆転』の勝因」という記事を寄稿した。当初、新型コロナのリスクを軽んじて失政を繰り返した結果、感染爆発で変異株まで生み出し、累計12万人以上の死者を出した英国が、いまや巧みなワクチン戦略で“大逆転”を成し遂げ、新規感染者が日本よりも少なくなるほど流行を沈静化させつつある、という内容だ。この記事を書くなかでとくに見えてきたのが、「ワクチン戦略で先手を打った英国」と「ワクチン戦略で後手に回ったEU諸国」のコントラストだった。

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アストラゼネカ社を提訴したEU

 記事執筆後の4月26日、EUは、「ワクチンを契約通り供給していない」として英製薬大手のアストラゼネカ社を提訴した。当初の予定通りに同社製ワクチンを入手できなかったために、EU域内での接種計画が大きく崩れてしまったからだ。

 もともと、アストラゼネカ社とは、英国もEUも同時期にワクチン契約を結んでいた(EUが昨年8月27日、英国は8月28日)が、今年3月、同社は、「EUに6月末までに納入予定だった3億回分のワクチン」について、製造過程の課題と輸出規制により、「1億回分しか供給できない」とEUに通告した。ところが、その後、同社が英国に対しては「契約通りの供給」を続けていたことが明らかになる。

自身も感染したジョンソン首相 ©共同通信社

 当然、EUとしては、「英国の製薬会社であるアストラゼネカ社がEUよりも英国を優先した」と怒りが収まらない。だが、実は同社の対応に違いが生まれた原因は、「契約書の細かい文言」にあった。

もし約束通りのワクチンを供給できなかったら?

 アストラゼネカ社と英国が結んだ契約書には、英国が購入したワクチンに対して、「そのサプライチェーンが適切で充分であること」を約束する条項が含まれていた。このコミットメントが破られれば(=英国が購入した約束の分量が何らかの理由で供給されなければ)、英国は契約を打ち切ることができる、ということだ。この条項があるため、アストラゼネカ社は、もし英国向けに不足分が生じたら、何らかの形で自身で補填せねばならない。

 他方、EUとの契約にはこの種の文言は含まれていなかった。アストラゼネカ社が約束のワクチンを供給できなかった場合、EUは未納分については支払いを行わない、という程度で、アストラゼネカ社を告訴する権利も放棄していた。

 さらに「英国法」と「ベルギー法」という、それぞれの契約が依拠している法体系の違いも大きく影響している。英国との契約は「英国法」に則っており、契約を結んだ両者が「契約書の文言通りに義務を遂行したか」に重点が置かれる。他方、欧州との契約書は「ベルギー法」に則っており、「両者が最善の努力をしたか、善意を持って行動したか」に重点が置かれる。つまり前者では物を届けなければ罰則が生じるが、後者はベストエフォート(最善の努力)の結果であれば許容されるのだ。