「今から馬乗りをやる」
全国にあるプリンスホテルの支配人たちは、いつジェットヘリの爆音を轟かせて天から降ってくるかも知れない義明に、備えなければならなかった。プロペラの音が近づくにつれ、支配人の緊張感は高まり手には汗が滲んだ。彼らの日課の1つが、義明が前日に食べた献立を知ることだった。万が一、前日と同じメニューを出せば義明の側近から𠮟責の声が飛ぶ。前日と同じメニューを出しただけで閑職に追いやられた支配人の悲劇が、伝説となってホテルの幹部を金縛りにした。義明の到着が事前に分かっている場合、従業員は義明の到着に備え、迎えるための事前練習に励んだ。黒塗りの車がホテルの玄関前に着く。赤い絨毯を音もなく敷き従業員が整列して迎える。プリンスホテルの従業員にとって、最上のもてなしを考えなければならないのは顧客ではなく、義明に対してだった。
康次郎の言いつけを守り続け、幼い時から堤家独特の帝王学を学んできた義明の精神構造は、独裁の酷薄さと幼稚さが同居した。ロールスロイスに乗るや、運転手に「コロッケを買いに行け」と言いつけ、コロッケをロールスロイスの広過ぎるであろう後部座席で1人頬張っては、
「お前たちはこんな美味いもんをいつも食べているのか」
と、漏らしたりもした。
康次郎の存在そのものが、精神的な圧迫を与えていたのだろう。義明は時として、突飛な行動を起こすこともあった。
ある日突然、義明の側近たちに招集がかかった。指定された場所は箱根プリンスホテル(現・ザ・プリンス箱根芦ノ湖)にほど近い義明の別荘だった。理由を聞かされないまま集まってきた西武グループの幹部に、義明は何の照れもなく真面目な顔で言うのだった。
「俺は子供の頃からスパルタで育てられ、子供がやるような遊びをしてこなかった。だから今から馬乗りをやる。いいか。わかったな」
義明の前に立っている幹部は一瞬、何を言われたのかわからないように押し黙った。1人が「会長が馬乗りをやるんだ」と言いながら、背広を脱ぎ始める。「どうやるんだっけ」。幹部たちとて皆60歳を過ぎようかという年齢だ。幼い日の馬乗りの記憶など半世紀も前のものだ。
馬となった幹部らに向かって、「いくぞ」と声をかけた義明が飛び乗る。
義明はさも嬉しげに馬となっている幹部に、
「どうだ、重いか? 昨日肉を食べたからちょっと重いだろう?」
と言っては、1人ケタケタと笑い転げた。静まり返った夜の別荘に、義明の笑い声だけが響いた。