大人になったゴーディのモノローグで4人の〈その後〉が語られるが、そちらもやはり寂しいものがある(原作ではさらに過酷)。「たった2日の旅だったが町が小さく違って見えた」とも彼は語るが、友だちに関してもそれまでとは違って見えるようになったのだ。
筆者も小5あたりから、中学受験をする友人らに“もう、こいつの相手なんかしてられないな”みたいな接し方をされたし、その親たちからも“うちの子に近づかないでくれる?”みたいな圧を感じた。死体を前にしたシチュエーションとは比べものにならないが、友だちとの間に線が浮き出したのを覚えている。おまけに地元中学の入学式で受験に失敗した彼らのひとりと再会、これはこれでまた辛いものがあった。
楽しかった思い出は決して忘れない。でも、ほろ苦い思い出、辛い思い出、怖い思い出はそれ以上に忘れないし、楽しい思い出よりも抜くのが簡単ではないところにまで刺さってしまっているものが多い。だからこそ、愉快な話よりも悲しい話のほうが多い『スタンド・バイ・ミー』に心が共鳴してしまう。
物語のルーツは作者の実体験
原作を生み出すルーツのひとつとなっているのは、4歳のキングが体験した出来事だ。そちらも、まったくもって愉快な話ではない。
〈母によると、私は近所の友だちの家へ遊びにいったーー鉄道線路のそばの家だった。 出かけてから一時間ほどたって、私はひとりで自宅に戻った(と母はいった)。幽霊のように血の気の失せた顔をしていたらしい。おまけに、その日はそれからずっと一言も口をきかなかったという。どうして友だちの家で迎えを待たなかったのか、「迎えにきて」と電話をしなかったのか、私はいおうとしなかった。どうして友だちの母親が私を送りもせずにひとりで帰したのかも、いおうとしなかった。
じつはその友だちは、線路の上で遊んでいたか線路を渡ろうとしたかして貨物列車に轢かれたのだ(何年もたってから母が話してくれたところでは、四散した遺体をヤナギ細工のバスケットに拾い集めたそうだ)。事故は私がその子のそばにいたとき起きたのか、その子の家へ行く前に起きたのか、はたまた事故が起きたから私がふらふらひとりで戻ったのか、くわしいことはついにわからずじまいだった。母は母なりにいろいろ考えたはずだ。
そして私はといえば、すでに述べたように、事故とやらのことはまるで覚えていない。そういうことがあったと事故から数年後に聞かされた記憶があるだけだ。(『死の舞踏』スティーヴン・キング、訳:安野玲、ちくま文庫)〉
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【参考資料】
『スタンド・バイ・ミー コレクターズエディション』(ソニー・ピクチャーズエンタテインメント)
『死の舞踏』(スティーヴン・キング、訳:安野玲、ちくま文庫)
『スティーヴン・キング 恐怖の愉しみ』(風間賢二、筑摩書房)