一般には知られていない中堅ゼネコンの社長にもかかわらず、永田町では知らぬ者のいない有名人だった男が、2020年12月17日に帰らぬ人となった。その男の名前は水谷功。小沢一郎事務所の腹心に次々と有罪判決が下された「陸山会事件」をはじめ、数々の“政治とカネ”問題の中心にいた平成の政商だ。

 彼はいったいどのようにして、それほどまでの地位を築き上げたのか。ノンフィクション作家、森功氏の著書『泥のカネ 裏金王・水谷功と権力者の饗宴』(文春文庫)より、芸能界でも幅を利かせていた男の知られざる正体に迫る。(全2回の2回目/前編を読む)

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ゼネコン窓口の交代

 東北の建設談合組織に食い込もうとしてきた水谷功にとって、胆沢ダムの基礎掘削工事における水谷建設の受注工作は、第一弾に過ぎない。そこから先の流れを整理すると、実態がより鮮明に見えてくる。

小沢一郎氏 ©文藝春秋

 03年の基礎掘削工事入札前後、小沢事務所には大きな変化があった。それまでゼネコンの窓口を一手に引き受けてきた高橋嘉信が、その任から外される。小沢の秘書から代議士になった高橋は、政界におけるみずからの存在基盤を築こうとしたのだろう。その高橋に対し、小沢一郎が警戒心を強めた結果の担当窓口外しだといえる。

「創和にしてやれるのは、これが最後だから」

 鹿島建設の仕切り屋を交えた三者会談で高橋がそう話したように、建設業界の窓口が代わった。新たな窓口が西松建設偽装献金事件で立件された大久保隆規だ。小沢事務所における担当者の交代は、水谷建設のみならず、東北のゼネコン談合組織全体にとっても、大きな転機だ。

 当然、水谷建設も対処しなければならない。いままでは、会長の水谷功みずから高橋と折衝してきた。その小沢事務所の担当が代わり、水谷は、03年11月に社長に就任したばかりの川村尚に折衝を任せようとする。そうして川村が、向島の料亭や小沢事務所への献金場面に登場するようになるのである。

 胆沢ダムにおける受注工作の第二弾は、04年の参院選前だった。この年の7月、川村が大久保から仙台空港のロビーに呼び出された。すでに2人の料亭遊びが盛んになっているころだ。大久保も川村に気を許すようになったに違いない。500万円ほどを渡したという。大久保、川村双方にとって、これが手はじめの現金授受となる。