1ページ目から読む
3/4ページ目

「現金の授受は水谷側が言っているだけ」

「川村はその袋を抱え、会社の社用車を使って港区にある全日空ホテルに向かった。そやから、運転手もクロネコヤマトの袋のことを覚えていたらしいで。車を降り、川村はしっかり紙袋を抱えてホテルの玄関に消えたそうや。運転手はそのまま川村が出てくるのを待っていた。それで、車に戻ってきたときには、紙袋を持ってなかったというんや。そうなると、誰かに渡した。川村がネコババしたとは思えんやろ」

 よほど急いでいたのだろうか、ヤマトの紙袋はフロント前のソファーで渡されたという。いわば、これが胆沢ダムにおける三度目の裏金工作だ。川村の相手は、小沢事務所の事務担当秘書だった石川知裕である。

©iStock.com

 一方、石川は現金の授受どころか、川村との面識すら記憶にないと否定してきた。水谷側の関係者によれば、向島の料亭「花仙」でも同席したことが確認されているが、石川が現金授受に登場したのは、これ一度きりだ。そのほかはすべて金庫番の大久保が窓口になっている。したがってこのときは何か特別な事情があったのかもしれない。

ADVERTISEMENT

 そして四度目が、翌05年4月だ。ところは同じく全日空ホテルである。鹿島と並ぶ大手の大成建設中心のJVが、159億円で受注した第二弾の本体の原石山材料採取工事で、水谷建設がその下請けに入るべく、大久保に5000万円を渡したという。

 最後が、その5カ月後の05年9月。総選挙の準備と称し、盛岡市内のホテルで川村が大久保に2000万円を提供したとされる。02年から05年までの3年のあいだ、水谷建設による胆沢ダムの工事の受注工作は五度におよぶ。うち小沢側に渡ったと水谷側が証言する裏金だけに限っても、1億2500万円にのぼるのである。

 水谷建設による5度の工作について、小沢事務所はコメントをしない。また、代議士になった石川知裕の代理人に、川村を乗せた運転手の件などを質問すると、こう答えた。

「現金の授受は水谷側が言っているだけの話でしょう。車の記録は東京駅に迎えに行ったとあるけど、あとは運転手の記憶でしかない。そんなのは確定的なものではない」(木下貴司弁護士)