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「ボストンバッグをかついだ若い“外人”の子たち3人が、血の海からヌーッと出てきて、そのまま靴を履いてどこかに行ったんです。僕を呼びに来た3人とは、別の子たちでした。慌てて走って逃げる感じではなくて、何事もなかったように、そのままヌヌヌッと普通に歩いて去っていった」

 現場から逃走したカー容疑者は、同日のうちにすぐ近所で警察に任意同行させられた。加えて「ヌヌヌッと」姿を消した他の3人にも警察の追跡が及び、JR紀勢本線の無人駅で身柄が確保された。この3人は事件に無関係だったと判明したことで、翌日にカー容疑者が逮捕された。事件が起きたのは平日の午後だったため、周囲の学校は厳戒態勢が敷かれたという。

低賃金で逃亡したばかり

 加害者と被害者の「グエン」は、ともに住所不定・無職であると発表された。もっとも捜査関係筋の話では、2人のグエンも、現場にいた他の6人も「ただちに強制送還を受けるような」立場ではなかったという。

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田辺市内で刺殺されたホア(奥右)と家族。ベトナム語のFacebookコミュニティより引用。幼い子ども2人を母国に残して、妻とともに出稼ぎのため技能実習生となって来日していた。

 昨年以来、コロナ禍のなかで国際航空便の減少とチケット価格の高騰が続いている。ゆえに逃亡した技能実習生などは、入管に自主的に出頭していれば、特例的に期間を区切った上で日本国内での滞在が認められるケースが多い。今回の事件関係者たちも同様だったとみられる。

 少なくとも、被害者のホアが逃亡技能実習生だったことは確実だ。電話で取材に応じた彼の妻はこう証言する。

「夫が来日したのは、2019年3月です。もともと京都の“とび職”の会社で働いていましたが、コロナの影響で収入が下がって困っていた。そこで今年の春、実習先を逃亡したんです。最初は福岡のほうに行って、解体の仕事をしていたそうですが……」

妻の居住地に近い仕事場を探した翌日の惨劇

 ホアはハノイに近いホアビン省出身だった。妻も技能実習生で、幼い子ども2人を残して夫から1ヶ月遅れで来日していた。妻の職場は淡路島の農家である。たとえ夫婦で日本に来ていても、お互いに単身赴任を余儀なくされるのが技能実習生たちだ。

 だが、実習先を逃亡すれば、不安定な身分と引き換えに居住・移転の自由や職業選択の自由といった基本的人権を確保できる。妻は続ける。

「福岡は遠いからって、私がいる淡路島に近い場所の仕事を見つけて、移ってきたんです。夫から和歌山に着いたっていうメッセージを受け取ったのは、5月11日夜10時ごろ。太陽光パネルを取り付ける仕事の面接に行くと言っていました」

被害者のホアの遺影。ベトナム語のFacebookコミュニティより引用。

 ホアが現場のアパートに流れ着いたのは、なんと事件の前夜だった。当該の部屋は日本人の個人名で契約され、大家も外国人の居住を把握していなかった模様だが、実際は寄る辺なき困窮ベトナム人労働者たちのたまり場になっていたらしい。