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「さと君は普通にいいやつ」

 ところで、植松には、幼稚園時代から同じ地元(相模原市緑区)で育ち、犯行直前まで頻繁に遊んでいたという幼なじみが2人いる。ここではX氏とY氏と呼ぶが、互いの両親についてもよく知る間柄だ。

 植松は、父親が小学校教師、母親は漫画家という家庭に生まれた一人っ子だが、その家族関係についてX氏は、「普通に仲良かったですよ。そこは自信満々にいえるけど」。

 一方、Y氏によると、「さと君(植松)は、僕んちに泊まりに来たときとか、人んちの冷蔵庫を勝手に開けますからね(笑)。そういうのを見て、小っちゃいなりに、あ、自己中っていうか、親から甘やかされて育ったのかなとは思ってましたね」。

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 小中高と進むにつれ、3人とも地元の不良仲間の一員となり、やがてバイクや車に夢中になる。そして、高校3年のとき、八王子市との境にある大垂水峠の走り屋襲撃事件を起こし、仲間のほとんどは少年院で半年間を過ごすことになった。

 一方、植松はタバコや飲酒、万引きくらいまではしたが、そこから先には興味がなく、襲撃事件には加わっていない。「みんなが『これ』っていっても、俺はいいや、みたいな。良くも悪くもマイペース。『自分は自分』って感覚でしたね」とX氏。

「植松は、不良グループの下っ端だった、という記事が報じられたことがあるんだけど、どうでした?」

 私が尋ねると、X氏もY氏も、

「俺たち、上とか下とかないすよ」

「さと君は普通にいいやつ。一番最初に友だちができるっていえば、さと君だったよね」という。

【相模原45人殺傷】植松聖の『優生思想』を生んだもの」の全文は、「文藝春秋」2021年6月号と「文藝春秋 電子版」でお読みいただけます。

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【相模原45人殺傷】植松聖の「優生思想」を生んだもの