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 私たちが面会に訪れた昨年4月といえば、新型コロナウィルスの感染拡大により、最初の緊急事態宣言が発令される直前だったが、植松によると、その背後にもイルミナティの存在があり、「裁判長もすべてイルミナティですからね」という。

「じゃあ、死刑判決もイルミナティの意図ということですか?」

「うーん、それは、まだはっきりしたことはいえない」――彼なりの自我防衛的な心理機制なのだろうが、死刑判決をまったく別のコードで読み取っているところがあった。

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 植松が、東京拘置所に移送されたのは、その翌4月7日のことである。以降、植松は社会との接点を失い、ただ死刑執行を待つ身となった。

写真はイメージ ©iStock.com

豊かな人間関係と「リア充」生活

 私は、植松とトータルで17回の面会を重ねてきたことになる。

 彼と面と向かって話をする限りにおいて、病的な印象はまったく感じないのだが、彼の荒唐無稽な世界観には、正気と狂気がモザイクのように入り混じった印象を受ける。

 私は、2003年に『こんな夜更けにバナナかよ』という本を書いて以来、障害や福祉を20年近く取材してきた。また、自ら介護を経験することで、本当にたくさんのことを学んできた。かたや植松は、同じ障害者の支援に関わりながら、なぜ彼らを全否定する考え方に至ってしまったのか。それを直接、彼と会うことで確かめたいと思ったのだ。

 植松が、事件を起こす1年ほど前から、それまでとは異なる人格に変貌してしまったというのは、私が取材した彼の友人たちに共通する証言である。また、裁判でも弁護側の重要な論点の一つとなった。

 しかし、裁判においては、植松の「刑事責任能力」のみに争点が絞られ、彼の人間性を広く深く掘り下げようという視点に欠けていた。

 植松は、非常に多様な側面をもった人物である。友人関係はきわめて豊かで、女性関係にも不自由はなく、中学時代に2人、高校時代にも2人の交際相手がいた。また、大学は帝京大学文学部に進学し、卒業時に小学校の教員免許を取得している。

 大学ではサークルの輪の中心にいるような、いわゆる“リア充(生活が充実した人)”と呼ばれるタイプの学生だった。例えば、2008年に起きた「秋葉原通り魔殺人事件」に代表されるように、犯人がまともな人間関係や職業に恵まれず、ある意味、社会に復讐するかのように起こした無差別殺傷事件とは、まったく質の異なる事件ということだ。