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「私は不器用だから」――役作りからコロナ禍の生活まで 大女優・岩下志麻に映画史研究家・春日太一が迫る!

「私は不器用だから」――役作りからコロナ禍の生活まで 大女優・岩下志麻に映画史研究家・春日太一が迫る!

『美しく、狂おしく』文庫化記念・特別インタビュー

2021/06/08

source : 文春文庫

genre : エンタメ, 芸能, 読書

note

――本の中で語っていただいたお話に「役作りの段階で入念な準備をし、ある程度の確信を持ってから現場に臨んでいる」というのがありましたが、その確信が現場に来て撮影するとなった段階で揺らぐことはありますか?

「監督にそれまでの流れと違うことを突然言われたりすると、自分の持っていたものがぐぐっと崩れちゃうことはあります。それでも、自分のやろうとしている演技を構築するまでに色んな段階を経ているので、もし監督さんがこちらの考えていたことと違う指示をなさってもそれに従います。映画は基本的には監督に従うべきと思っていますので」

――それまでの過程の蓄積があるから、急な変更にも対応できるだけの引き出しができているわけですね。

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「そうしておかないと、現場で悩んじゃうでしょ。私は現場ではテンポよくトントンといきたいので、いつも自分の中できちっと作り上げていこうと思いますね」

「今でも子供に本当にごめんなさいって思います」

――それだけ事前の準備をなさってきた岩下さんですから、お子様が小さい時はご一緒に過ごす時間もなかなか取れなかったのではないでしょうか。

「そうですね。それで『はなれ瞽女おりん』の時は三味線の稽古を長くやっていたのですが、娘(※当時、3~4歳)に小さい三味線を買ってあげて、彼女も三味線の稽古にかならず連れて行っていました。隣に座らせて――弾ける弾けないは別としても――私が三味線を習っている間は、ずっと自分も隣で三味線をいじって座っているという。ちゃんと座っていました。『先生よろしくお願いします』って言うと一緒にお辞儀をしてね」

『はなれ瞽女おりん』 ©1977表現社 盲目の三味線弾き「瞽女」の「おりん」が脱走兵と旅をする物語。岩下がおりんを、脱走兵を原田芳雄が演じた。

――それでも撮影現場には連れていけませんよね。

「だから凄く辛かったです。出かける時は、いつも引き裂かれるみたいな気持ちでした。ただ、演じている間は没頭しているんです。娘には申し訳ないけれど、その時は仕事に没頭していましたね」

――葛藤を抱えながら、作品と向き合ってきたわけですね。

「そうですね。心の中はいつも戦いでした。私は今でも子供に本当にごめんなさいって思います」

――最後に、コロナ禍での過ごされ方をうかがえましたらと。

「以前北京に行った時に見て、太極拳に興味を持ったんです。それで太極拳をやっているジムを探して、もう10年くらいやっているんですが、最近は人が密になりますし、呼吸法で息が大きくなりますので教室をクローズしているんです。ですので、先生に『運動不足になるのでぜひオンラインでやってください』とお願いして、それで今は、ZoomとかSkypeで週に2回やってもらっています」

――ZoomやSkypeをつかいこなしていらっしゃるわけですね。

「今はあれがないとダメですね。あとはLINE。大好きで、けっこうハマっています。仕事も原稿チェックも写真チェックも全てLINEでやっていて便利なんです。それで『極妻』のスタンプが欲しくて著作権が東映なので、会長の岡田裕介さん(2020年に逝去。岩下さんとは40年以上にわたって親交があった)にお願いしたら『いいですよ』って言ってすぐ作って下さったのです。相手の文面に対して『おおきに』とか『覚悟しいや』とか返したりして。ですから今は誰かに極妻のスタンプを送る度に岡田会長のことを思い出します」

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