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月収300万円もあった時代からスーパーで残飯を拾って食べる生活に…沖縄の“売春街”で働いた女性の“哀しすぎる証言”とは

『沖縄アンダーグラウンド 売春街を生きた者たち』より #1

2021/06/15
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手首にはリストカットの傷痕が幾筋も

 奥武山公園はリエさんが子ども時代を送った街にある。いまは沖縄セルラースタジアム那覇が隣接していることもあり雰囲気は変わってしまったが、ホームレス生活は半年間ほど続いたという。リエさんの「転落物語」には底がないかのようだった。

「親とかに頼ることはしませんでした。もし、ヤクザが来るようなことがあったら迷惑をかけますから……。店をつぶした借金は返せないし、もう苦しくて、苦しくて、ある日の夜、那覇港で海に飛び込んで死のうと思ったんですが、たまたま通りがかった女性に止められたんです。私は完全にアタマがおかしくなってましたね。止めてくれた女性に事情をすこし聞いてもらって、心療内科を紹介してもらいました」

 話しながらリエさんは泣いていた。それでも懸命に私に理解できるように自分のライフヒストリーを時系列に整理して話そうとしてくれた。リエさんの手首にはリストカットの傷痕が幾筋もあり、それは肘の裏側あたりまで刻まれていることに私は気づいた。少し時計の針を戻してみた。

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「初めてウリをやったときは涙が出たよ」

──ところでどうして「不良」になったんですか?

「小6か中1のとき、親族の男の人にイタズラされたんです。妹に話したんですが、信用してもらえなかった。その後はその人とは顔を合わせたことがありません。横浜から逃げて沖縄に戻ったのは、その人が追いかけてくるということがわかったこともあるんです。……その人や私を裏切った夫たちを殺したいと思うこともあるさ。今は1人で住んでいてテレビもないけど、ラジオだけはあっていつも聴いてる。でも寂しくてたまらなくなって、起きあがることもできなくなることもある。人を信用できないふうに私はなってる。だから生きるためにはカネが必要だ、子どもたちのためだと思ってやってきました。

 初めてウリをやったときは涙が出たよ。でも1回やったら、なかなかその世界から抜けられなくなる。私はそういう運命に生まれついたんだと思うことにしてる。ユタ(巫女)に見てもらったこともあって、そうしたら、あなたは7代前の、死んで無縁仏になった遊女の生まれ変わりだと言われたさ」

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