米軍兵士向けにつくられた売春の街「特飲街」として、沖縄県宜野湾市真栄原新町には数多くの「ちょんの間」が密集していた。しかし、2010年代初めの浄化運動によって売春街は消滅。現在、かつての活気は見る影もなくなっている。この色街では、いったいどのような日常が営まれていたのだろうか。
ノンフィクションライターの藤井誠二氏は、売春に従事する女性、風俗店経営者、地元ヤクザにインタビューを敢行。ここでは、その内容をまとめた著書『沖縄アンダーグラウンド 売春街を生きた者たち』(集英社文庫)の一部を抜粋。特飲街に隣接した地域で生まれ、真栄原新町で働いた経験を持つリエさん(仮名)の証言を紹介する。(全2回の1回目/後編を読む)
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「ハニー」という呼び名に込められた日本人女性への侮蔑
彼女が生まれたのは、那覇市内のかつて「ペリー区」と呼ばれた特飲街に隣接した地域だった。ペリー区は那覇空港のすぐ近くにある、現在の山下町一帯である。もともと山下町が本来の町名だったのだが、米軍関係者が、第2次世界大戦時の日本陸軍大将だった「マレーの虎」こと山下奉文と同じ名前は気に食わないという一存で呼称を変えさせたと言われている。那覇空港は日本海軍がつくった飛行場だったが、1972年の復帰までは米軍基地として利用され、米兵や米軍関係者を相手に、辺鄙だった一帯に特飲街ができたのである。その名称はアメリカ海軍のマシュー・ペリー提督に由来しているそうだ。現在の那覇空港は航空自衛隊那覇基地と共用となっている。「ペリー区」の名残はマンションや保育園の名前などにも見られ、当時スナックだった建物も朽ちたまま数軒残っている。
「あたりの家はみんな貧しくて、私の家族も狭い平屋の家を2家族で分けて住んでいました。子どもの頃から家の周囲には米兵がたくさんいて、朝も昼もお酒を飲んでました。ハニーとチュッチュするのを見てました。米兵相手のお店が何軒もあったんです。日本人のお客は見たことがなかったですね。同級生にはハーフの子がけっこういました」
ハニーとは米兵とつき合っていた女性たちの「愛称」だ。米兵たちがそう呼んだ。かわいらしい響きだが、「ハニー!」と叫びながら泥酔して米兵たちが村に、家に侵入して暴行をはたらく事態が数多くあったから、当時を知る人には嫌悪感を抱かせる呼び名かもしれない。そして、そこには米兵の愛人や恋人である日本人女性に対しての侮蔑的なニュアンスも込められていた。