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「説明されない疲れ」と菅首相の「ちゃんと説明しない慣れ」

 しかし菅首相は28日の記者会見でも、緊急事態宣言下でも五輪を開催できるかとの質問に正面から答えず、入国する大会関係者の削減などの対策を「国民の安全を守る立場からしっかり進めたい」と述べた(毎日新聞5月31日)。

 やっぱりまず「安全・安心」を禁止ワードにしたらどうだろう。そこから本当の説明が始まる。

 よく国民の「自粛疲れ」とか「自粛慣れ」というが、正しくは「説明されない疲れ」であり、菅首相の「ちゃんと説明しない慣れ」であろう。これがまん延しているのである。まん延防止適用案件である。

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 このように東京五輪にもれなくついてくる言葉はとてつもなく軽い。フワフワしている。それが人々をザワつかせる。この見事すぎる対比ってなんだろう。その構図をうまく言えないものか。

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不健全でいかがわしさに満ち満ちている東京五輪

 すると、ヒントになりそうな一文があった。コロナ禍に書かれたものだ。

《われわれがもつ「私権」には本来、〈不健全とされることを楽しむ自由〉をふくむはずであった。》(辺見庸「コロナ時代のパンセ」毎日新聞出版)

 たしかにそうだなぁ。決して健全ではないもの、決して適切ではないかもしれないもの。

 酒をグビグビ飲んだり、狭い空間でワイワイ語らったり、密会したり。人間の私的な時間とはそういうもので埋められる。時にいかがわしさが伴うもの、それを多くの人々はいまは我慢をしている。

 しかし東京五輪ときたらどうだ。あるIOC委員は「東京にはミシュランガイドのレストランが多いのに、食を楽しむ機会が制限されている」と不満を示したという(毎日新聞5月29日)。

 一般の国民が〈不健全とされることを楽しむ自由〉を制限しているのに、五輪と名がつく案件はとてつもなく不健全でいかがわしさに満ち満ちているではないか。これはほんの一例であり、そもそもカネの問題など五輪を巡る近況はすべてそうだ。