文春オンライン

「今さら地元に帰ってもね…」成長するアジアで夢を掴もうとバンコクへ渡った女性に迫る“皮肉な現実”

『だから、居場所が欲しかった。』より #1

2021/06/30
note

 踊らされているか否かは、海外へ飛び出す若者たちの意欲や姿勢による。つまり、明確なビジョンを持って海外就職を決意したのか、あるいは日本の現実から逃げるようにして海を渡ったのか。この両者は大きく異なるように思える。踊らされた若者たちは、おそらく後者に属するのだろう。これが若者ではなく中高年層ともなれば、後者の可能性は一段と高まるはずだ。そこには非正規というスパイラルから抜け出せない日本社会の現実が見え隠れする。

派遣労働で借金を完済。貯金を握りしめて東京へ

 村上も転職が多かった。

 その青春時代は実に複雑だ。芸術家だという父親の影響で美大を目指した彼女は、高校の夏休み期間中、美大予備校に通ったが受験に失敗。浪人は許されていなかったため、地元九州の短大に入学する。ところがその年の夏、東京から帰郷した友人たちの見違えるような姿に羨望を抱くと、自分も都会へ出たいと短大を中退して福岡に移った。

ADVERTISEMENT

 デザインの専門学校に通いながら、弁当店、宴席のコンパニオン、スナックのホステス、ラブホテルの清掃員などのバイトをする日々。その後、「地元で地に足をつけて生きよう」と一旦は故郷に戻り、携帯電話販売店に転職してみたが、専門学校時代に借りた奨学金とクレジットカードで作った借金を返すため、派遣労働者として愛知県にある自動車部品製造工場で働いた。仕事は鉄製の小さな基盤を切断機に次から次へと置いていく単純作業だったという。

「作業着を着て、基盤を切断機の所定の場所に置きます。スイッチを入れると機械が勝手に切断するのでまた基盤を置く。すごい単純な流れ作業でした」

 身振り手振りで村上はそう説明する。

 工場で働く作業員の半数以上は女性で、村上と同世代の20代半ばが中心。大半が沖縄県出身で、ほかに北海道、青森など最低賃金の低い地方からの労働者が占めていた。給料は手取りで25万円。村上は半年ほど働いて借金を完済すると、さらに半年働いて貯めた現金150万円ほどを握りしめ、地元の恋人と一緒に上京した。