労働市場において閉塞感が漂う日本社会を飛び出し、経済成長が著しいアジアで働きたいという若者たちが一時ブームとなった。彼ら彼女らの現地での生活実態とは……。アジアに暮らす日本人についての著書を多数出版するノンフィクションライター水谷竹秀氏は現地を訪れ、取材を行った。

 ここでは、そのもようをまとめた著書『だから、居場所が欲しかった。』(集英社文庫)の一部を抜粋。転職を繰り返し、仕事も人生も将来が見えなくなり訪タイするも、現地で職を失ってしまった48歳男性、関根の暮らしについて紹介する。(全2回の2回目/前編を読む)

◆◆◆

ADVERTISEMENT

「路上生活したら、就職も何も考えず楽になるのかなあ」

 アパート4階の一室はまだ引っ越し直後のため、荷物が入った段ボール箱が床にいくつも転がっていた。広さは約30平方メートル。動物好きなのか、関根はベランダの近くにハムスター、なまず、モモンガを飼っていて、その籠が並んでいる。トイレの前の化粧台の上にはガスコンロがあり、そこにご飯を炊くための鍋が置いてあった。この鍋でタイ米を炊き、関根は何とか生活しているのだ。

 ベッドの上にはフリーペーパーや壊れた携帯電話、かばん、ラケット状の蚊たたき、ペットボトル、脳梗塞用の薬などが散乱している。エアコンがないため、部屋の中はかなり蒸し暑い。天井にはプロペラ式の扇風機が回ってはいるが、じっとしているだけで汗が吹き出てくる。

「エアコンはないですけど思ったより夜は涼しいですよ」

 そう言う関根も私も汗だくになっていた。

 関根が取り出したイエローページには、かつて職を探しまくった痕跡がボールペンで残されていた。片っ端から脈がありそうな企業に電話をかけまくり、駄目だった企業の欄には×印が付けられていた。

 ベランダから外を見渡すと、いつの間にか激しい雨が降り始めていた。スコールだ。

 私は関根に現在の心境を尋ねた。

「今はつらいです。先がまったく見えないので。投げやりで路上生活したら、就職も何も考えずに楽になるのかなあと。そりゃ投げやりになることもありますよ」

 腕を組みながら語る関根の首筋には汗が光っていた。30分ほど部屋に滞在し、私はアパートを後にした。